通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 市制の実施 |
市制の実施 P225−P228 5月4日、西岡区長は、市制施行準備委員長に助役伊藤貞次を任命し、市制実施の準備体制を整えたが、その日、「本道市制実施六月一日より」とのタイトルで「本道六区に対する市制実施に関しては未だ確報に接せざりし為容易に推測し難かりしが、最近道庁に達せし内報に依れば、来たる十五日市制施行の勅令発布し六月一日より実施すべき手順に成り居れりと」報道され(5月4日付「函日」)、さらに9日には「市制実施通牒」との見出しで、勅令は15日発布、実施は6月1日と内定したので、あらかじめ準備されたしとの内達があったとの報道があり、これを受けて「初市長には誰がなる」とか「区から市に変って眼を廻す商売・活版所と印判屋、祝賀会的ての花柳界」などの記事が踊った。ところが床次内務大臣名で北海道参事会に対して発地第38号を以って「其道札幌区函館区小樽区室蘭区旭川区及び釧路区を廃し各々其地域を以て札幌市函館市小樽市室蘭市旭川市及び釧路市を置かんとす依って其会の意見を諮ふ」との諮詢書が発せられたのが15日で、函館区会へ「市設置の諮詢」(内務大臣の諮詢)と「財産処分(区財産を市財産とする)の諮詢」(北海道庁長官の諮詢)がなされた旨の通知が函館区役所に入ったのは18日となってしまった(5月19日付「函毎」)。 このような中、7月上旬に皇太子の来道が予定されたため、市制の実施は延期されることになってしまった(5月24 日付「函毎」)。当時の新聞に施行延期を許した記事が載った(5月23日付「函新」)。 困つたもんですね。今年は七月早々本道へ摂政宮殿下が行啓遊ばさるると云ふので、猶更市制施行は六月にして、市と改められた函館が殿下を御迎へ申上ぐることは、最も結構なことと思つて居りました。…宮尾長官にドンナ打算があるか知れないが目出度い市制施行をあと廻しにしやうと云ふのは、ちょつとおかしなものだ。極端なことを云へばヤハリ北海道はコンナ調子の為め、文化程度の進まないのも無理でない。…延期はイカニモ残念千万であると、心ある方面の等しき声である。 それでも5月29日、区会が開かれて先の諮詢に対する答申を満場一致で「適当と認む」と決定、同日付けで内務大臣と北海道庁長官へ答申書を提出した。「行啓」も無事に済み、7月26日の官報で「内務省告示第百八十二号 大正十一年法律第五十六号市制中改正法律付則に依り、大正十一年八月一日より北海道札幌区、函館区、小樽区、室蘭区、旭川区及釧路区を廃し各其の区域を以て札幌市、函館市、小樽市、室蘭市、旭川市及釧路市を置く」と告示され、8月1日、内務省告示の通り函館に市制が施行され、庁舎の表に「函館市役所」の看板が掲げられた。函館市の誕生である。日本に「市」が誕生してから33年後のことであった。函館市では函館区の区長、助役、収入役が、市長臨時代理者、助役臨時代理者、収入役臨時代理者に任命された。当面市の議決機関市会が存在しないため、市条例および規則の制定、市仮予算は道参事会の議決を以って行なわれることになった。また、市会議員の定数は区会議員の時より6名増えることとなり、市参事会も組織されることとなった。市役所の分課事務分掌規程は区時代のをそのまま引継ぎ表2−1の通りである。 26日午前10時、函館公園に於て市制施行祝賀式が挙行された。市長臨時代理の式辞の後、函館地方裁判所長以下の祝辞や黒住代議士の演説があり、公会堂では函館市の誕生を祝う祝賀会が開かれ、市中は、小学6年生以上の旗行列、商工連合会他55団体約5000名の提灯行列、26日と27日の花電車運行等と祝賀ムード一杯であった。
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