通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 またも見送られる北海道の市制 |
またも見送られる北海道の市制 P222−P223 大正9年12月召集の第44帝国議会に市制改正案が提出された。この改正案は、議員選挙の等級制を三級制から二級制とし、公民資格も地租もしくは国税年額2円以上を収める者から直接市町村税を納めることを以て足ることとするなど、公民権の拡張が推進された改正で、同時に沖縄県と北海道を市制施行除外地から外すことも含まれていた。明治29年に区制が施行された沖縄県も同41年に区制の改正(3月17日勅令第43号)がなされていたが、市制施行は見送られていたのである。 その上、市制町村制が同44年4月に全文改正された際(市制が法律第68号、町村制が法律第69号で、この改正 で市制と町村制が別々の法律となり、10月1日施行)、市町村の法人性並びにその機能・負担の範囲の明確化、市長の独任制と市参事会の副議決機関化、財務規定の整備などが図られ、市長、助役、市会議員の任期については改正沖縄県区制と同じく4年となっていたが、この時、市制の第177条で「本法は町村制第157条の地域に之を施行せず」と、北海道と沖縄県が市制施行地の外にあることが明文化されてもいたのである。 このような中、那覇区では運輸交通機関の発達に伴って人口が急増、区経常費も膨れ上がって区民の負担も増えて行き、自治制への要望が強くなり、大正7年3月には那覇区会から「特別区制廃止に関する意見書」が県知事および内務大臣へ提出されるという事態となっていた。その意見書には「当区は更に進んで上下水道、市区改正その他、文明都市の事業を経営する暁に際し、現行制度の下にありては、協同的自治の目的に添う能はず、故に一般市制と同じく、当局と議長を区別し、議員の熟議を得せしめ、参事会を設けて慎重なる議案を定めしめ、特殊の事業に関しては、参与を置くの必要あり、而して大正七年度を期して新たに所得税法施行せらるるを以て、制度上、他の市と懸隔あるを認めず、均しく国家の負担を分つに充分なる民力あると共に、一般自治制を運用する能力あるを信ず」とあり、最後に「故に従来の特別制を改めて、一般市制を施行するは、独り当区民の嘱望のみならず、また以て県民の嘱望に属せり」(『那覇市史』通説編第2巻403頁)という状態であった。一方北海道でも都市の成長が著しく、自治権拡張の気運が高まり、大正8年には道庁長官が北海道区制を廃止して一般市制を施行するよう内務大臣に上申するほどになっていたのである。 市制改正案は翌10年両院を通過し、4月11日法律第58号として公布(5月20日施行)された。沖縄県は一般市制町村制の施行除外地から外され、那覇と首里に市制が施行された。 前掲の『那覇市史』は「明治二十九年県区制施行から、一二年後に区制が改正され、さらにその一三年後に市制が施かれた。本土の町村制におくれること約四分の一世紀である。」と記している。 一方この時、北海道への市制施行は見送られてしまった。北海道に関しては、市制施行地への改正は同時に、府県会法や地方費法に肩を並べるべく北海道会法、北海道地方費法の改正案も上程されていた。しかし、この2法は貴族院本会議で審議未了となり、市制改正法律第58号から北海道を市制除外地から外すという文字が削除されてしまったのである。特に市制の第3条で「市ノ廃置分合ヲ為サントスルトキハ関係市町村会及府県参事会ノ意見ヲ徴シテ内務大臣之ヲ定ム」とうたわれていたため、道参事会設置に向けての北海道会法改正案が審議未了となったことが大きく響いたわけである。 |
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