通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 実現した市制改正 |
実現した市制改正 P223−P225 このため、次の第45帝国議会(大正10年12月召集)には、市制改正案に関しては北海道に市制を施行するための改正案のみが提案された。市制第177条を次の通り改正するというもので、北海道に市制を施行するため、府県関係規定を北海道にも適用する法律改正であった。 第一七七条 本法中府県、府県制、府県知事、府県参事官、府県名誉職参事会員、府県高等官、所属府県ノ官吏若ハ有給吏員、府県税又ハ直接府県税ニ関スル規定ハ、北海道ニ付テハ各地方費、道会法、道庁長官、道参事会、道名誉職参事会員、道庁高等官、道庁ノ官吏、若ハ地方費ノ有給吏員、北海道地方税又ハ直接北海道地方税ニ、町村又ハ町村会ニ関スル規定ハ、北海道ニ付イテハ各町村又ハ町村会ニ該当スルモノニ関シ之ヲ適用ス 同法案は4月20日に法律第56号として公布された。同時に、北海道会法改正(法律第57号)と北海道費法改正(法律第58号)も公布され、北海道に市制を施行する体制が整ったのである。 公布の日、「函館日日新聞」は西岡区長の「市制の施行に就て」を載せている。 区民が多年願望して止まなかった市制の施行も第四十五帝国議会に市制中改正法律案となって現れ上下両院を通過して近く公布される運びとなった、区の為区民の為洵に慶賀に堪へざる次第である。我が函館は開港僅に七十年にして内地の大都市と相比肩して毫も遜色なき発達を遂げたのは寔に喜ぶべきであるが茲に考慮しなければならぬのは内地の都市は何れも数百年の歴史を有し伝統的に発達したので一の統合せられた共同的民衆性を有する事である、而して此の民衆性は父祖相伝へ子孫相継ぎ自然に融合陶冶せられた所謂伝統的習性である、従って隣保共助の念甚だ厚く郷党団結の力亦甚だ強く地方公同の事務を処理するに当たっても渾然融合して事に当るの風習がある、之は大いに喜ぶべき事で又大いに学ぶべき事である、近時中央の政争が地方に伝播し自治体に於ても派を樹て党を結び政争を是れ事とする様な傾向を生じて来たがそれでも内地の都市に於ては一二例外のものを除くの外決して市民の福利を度外する様なことは無い、これは数百年間陶冶せられた民衆の融合性と多年の訓練せられた地方の習慣性に因るのである、自治は言ふ迄もなく民衆共同の福利を其の共同の力に依て増進するのであるから和衷共同が根本でなければならぬ、而して和衷協同は市民の省察と自覚に依て始めて実現することが出来るのである、詳言すれば小異を捨てて大同に就き、秉公持平大局に立脚して利害得失を考究し協同一致市民の福祉を策現するに依て始めて自治有終の美を済すことが出来るのである、区制布かれてより茲に二十有五年、其の間幾多の波瀾を生み曲折を経、時には呉越相争ふたこともあらう、けれど是れ皆愛区の至情の発露であるから素より深く咎むべきでない、唯市制の施行を機として従来の行き懸りを一掃し互いに相融合することが必要である、市制の施行固より喜ぶべきであるが依然として旧套を脱せず党同異伐、兄弟牆に鬩ぐ様な事があったら何れの日にか時弊を匡救し自治の振興を図る事が出来やう、私は衷心区民の猛省を望んで止まぬのである、市制の施行…是実に民心を新にし従来の行き懸りを一掃し時弊を匡赦するに最も絶好の機会である、積雪結氷も時が来れば融けて流れて化粧の水になる、私は此の際此の秋を以て断然従来の行き懸りを一掃し区制二五年抗争の歴史を鎖して和気靄々裡に将に来らんとする新嫁函館市を迎へんことを勧説するのである。 この時期の新聞の社説等の見出しを挙げると、「区民自覚の時」「自治と犠牲」「市制実施と函館・区民の大覚悟」「市制実施に就いて・市民の責任」等々となっており、「自治は読んで字の如く自ら治むると云ふ事」が強調されたのである。 |
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