通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第4節 交通・運輸体系の変容と函館の位置づけ
3 陸と空の交通

国鉄離れ

モータリゼーション時代の到来

道路の整備

空港の開設

空港の開設   P495−P496


函館空港の一番機(原田清悦撮影)
 北海道の民間航空の開始は昭和28年であった。この年発足した日本航空株式会社が、東京−札幌間1日1往復、翌29年に新設の日本ヘリコプター運輸(後の全日空)が、東京−三沢−札幌間1日1往復で就航を始めた。さらに同年、函館市も出資した北日本航空株式会社が、産業航空用輸送(道内)を開始した。これらは戦時中の日本軍が開設した飛行場を利用したものである。旅客の長距離輸送が、国鉄と青函連絡船から航空へ代わる号鐘であった。
 函館市の民間航空用の空港は、市に隣接する銭亀沢村に33年4月着工、35年にターミナルビルが、翌年3月に滑走路が完成している。千歳空港につぐ北海道2番目の空港として、36(1961)年4月に供用を開始した。滑走路1200メートル、60人乗りのYS11型、離陸距離1070メートルであった。
 函館−札幌線(北日本航空)と函館−仙台−東京線(全日空)が開通したが、就航した飛行機が小型機なので、36年の年間乗降客数は、4万5432人に過ぎなかった。
 昭和46年に2000メートル滑走路が完成し、翌年からジェット機が就航するようになると、利用者は増大した。47年の乗降客は前年に比べ、75パーセントの増加である。53年には、エアバスが発着可能となる2500メートル滑走路が完成し、56年、はじめて乗降客数が100万人をこえた(図2−36、第7編コラム44参照)。
 なお、平成6(1994)年には、ロシアのユジノサハリンスク市との間に、国際定期航空路が開設された。
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