通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第5節 教育制度の改革と戦後教育の諸問題
2 占領期第2期・3期の教育(昭和23年−27年4月)

新制高等学校の成立

教室の不足と二部授業

児童・生徒の長期欠席と青少年犯罪

北海道および函館の教員レッド・パージ

新制大学の発足

「特殊教育」の進展

新制大学の発足   P262−P264

 戦後の高等教育改革は、新制大学の成立として実を結ぶことになるが、米国教育使節団報告書による勧告を基礎とし、教育刷新委員会の建議を経て、学校教育法の制定による新制度の成立という経過をたどっている。
 米国教育使節団報告書は、それまでの日本の高等教育が、一部の人びとに限られてきたことを批判し、教育の機会均等の観点から、広範な国民への開放を主張していた。また、報告書は全体として6・3・3・4制の、単線型の学校体系を構想していたとされる(前掲『日本現代教育史』)。
 教育刷新委員会は、高等学校に接続する学校は4年制の大学を原則とすることを建議し、さらに大学は3年または5年としてもよい、としていた。新しい高等教育の制度は、学校教育法の公布によって確定し、旧制大学を中心とする新制大学の計画や、旧専門学校の昇格の動きとなって、具体化の段階を迎えることになっていった。文部省では、国立大学について、昭和23年6月22日、新制国立大学設置の「11原則」を示し、新制大学がそれによって計画されることになっていく。この原則に則って、新制の国立大学の設置が具体化されていくが、昭和24年5月31日制定の「国立学校設置法」によって成立した国立の大学は、旧帝国大学の国立総合大学から転換したもの、旧官立大学の国立単科大学を含むもの、旧制高等専門学校・師範学校などの統合によるものなどに分かれていた。
 函館では、北海道大学農学部水産学科と函館水産専門学校を基に北海道大学水産学部が成立し、北海道第二師範学校は、北海道学芸大学として義務教育の教員養成にあたることとなっていく。
 新制大学となった北海道大学水産学部の場合、従来の函館水産専門学校を単科大学にする構想もないではなかったといわれるが、結局、北海道大学農学部水産学科と函館水産専門学校を統合して、北海道大学水産学部としてスタートすることとなっていった。漁業学科、遠洋漁業学科、水産増殖学科、水産製造学科の4学科をもって、学部を構成し、新たな出発をなしたのである。ただ、学部としてスタートはしたものの、学部の実質をなす水産学の確立が課題として残されていたといわれる。
 一方、戦後の高等教育改革のなかでおこなわれた教員養成制度の改革は、師範学校の改造と教員養成の水準の向上を目指す方向に向かうものであった。米国教育使節団報告書は、それまでの師範学校を批判し、教員養成は、4年制の大学でおこなうべきことを提言していた。教育刷新委員会でも、昭和21年12月の建議において、「教員養成は、総合大学及び単科大学において、教育学科を置いてこれを行うこと」が提案されており、教員養成は大学で、という方針が確認されたのである。同委員会は、さらに22年11月の建議によって、教員養成制度の在り方を示したのである。それは、学芸大学による小・中学校教員の養成、一般の大学卒業者で教員として必要な課程を履修したものの教員への採用、教員養成を官公私立のいずれの大学でもおこなえること、などを含むものであった。ただ、旧師範学校を母体とする大学の設置には、多くの困難が伴った。とくにほかの専門学校に後れて専門学校程度に昇格した師範学校の水準の低さが新制大学への転換を困難にしたといわれる。ともあれ、2つ以上の大学が置かれたほかの都府県と同じく、北海道にも、学芸大学が設置され、実質的に小・中学校の教員を養成することとなった。函館で、長年小学校教員の養成を担当してきた北海道第二師範学校は、道内のほかの2つの師範学校および青年師範学校などとともに、昭和24年5月31日、新制大学としての北海道学芸大学に統合され、函館分校として発足をみている。
 しかし、「4年課程」が置かれたのは札幌校のみで、函館分校は「2年課程」と4年課程の前期2年という、実質的には2年制大学としての発足となったので、翌年には4年制への「シニア昇格」をめざして設置期成会が組織されている。10年にわたって昇格運動が展開された結果、昭和34年に4年生課程が設置されることとなった。その後、昭和41年に北海道教育大学函館分校、平成5年には同函館校と名称変更を経て現在に至っている(『北海道教育大学函館分校創立六十年史』、『北海道教育大学五〇年史』)。
 一方、私立大学についても、昭和28年に函館商科短期大学(現函館短期大学)が設置されたのをはじめとして、昭和38年に大谷女子短期大学、昭和40年に函館大学が創設され、道南を中心とする北海道の高等教育の一翼を担って、重要な役割を果たしていくことになった(『野又学園六十年史』、函館大谷学園記念誌編集部会『創立百周年誌』)。
 なお、函館では新制大学が発足することになって以来、地元に独立した国立大学を設置したいという運動が続けらてきた。このことについては、第7編コラム53を参照されたい。
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