通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第5節 教育制度の改革と戦後教育の諸問題
2 占領期第2期・3期の教育(昭和23年−27年4月)

新制高等学校の成立

教室の不足と二部授業

児童・生徒の長期欠席と青少年犯罪

北海道および函館の教員レッド・パージ

新制大学の発足

「特殊教育」の進展

「特殊教育」の進展   P264−P265

 次に、函館市教育委員会編『戦後学校教育の五十年』を参考に特殊教育の進展について、概略を述べておく。昭和25年4月に、市内の東川小学校、千代ヶ岱小学校および柏野小学校の3校に身体虚弱児を対象とする養護学級が設置された。各学校3学級、合計9学級で出発したものである。ここでいわれる身体虚弱児とは、結核性疾患による虚弱児、ツベルクリン反応陽転児が主たるものであった。当時、道内には同種の学級は2、3を数えるのみであり、それだけに先進的な役割を果たしていたとみられている。
 また、昭和25年2月、港小学校に「精神薄弱児学級」が設置された。同校は、同年10月に北海道教育委員会の「特殊教育研究指定校」となり、先駆的な役割を担うこととなっていった。この方面の研究も実践も未開拓の時代で、試行錯誤の連続であったといわれるが、研究を重ねるなかで、2年目には、生活中心の指導が試みられることとなった。すなわち、「くらしの学習」「しごとの学習」「たのしみ学習」「けいこの学習」からなるもので、研究の成果が反映したものであったといえよう。道内の教育に先鞭をつけるものであった。
 なお、昭和27年2月には、「全道精神遅滞児教育研究会」が、港小学校を会場に開催されている。昭和27年4月には、谷地頭中学校にも「精神薄弱児学級」が設置されている。
 明治28(1895)年設立の函館訓盲会は、中途の変遷を経て、昭和22年には函館市立盲唖学校となったが、昭和23年4月からは義務制となり、同年10月の道立移管をみることとなる。道立移管に際して、北海道立盲学校および北海道立聾学校の2校が分離成立することとなった。
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