通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


「函館市史」トップ(総目次)

第3章 戦時体制下の函館
第4節 戦時体制下の教育
2 中学校の教育

中学校教育の全国的動向

函館市立中学校の設置

函館高等計理学校の設立

函館市立工業学校の設置

函館市立高等実修女学校の設置

函館市立商業学校の設置

函館市立高等実修女学校の校名変更

私立学校の設置

学徒の勤労動員

学校転換

中学校教育の全国的動向   P1194−P1196

 昭和18年1月21日、昭和14年の教育審議会の答申に沿いながら、修業年限の短縮を含む中等教育の戦時再編成として、「中等学校令」が公布された。この改革によって中等学校は一元化され、「中堅皇国民」の育成を目指すものとされた。「中等学校令」下での中学校は、高等普通教育による中堅皇国民の練成を行うところとされ、修業年限は4年に短縮され、国民学校初等科修了を入学資格とし、初等科第5学年からの入学はできなくなつた。さらに高等学校との関係では、中学校4年卒業程度とされるようになった。「中等学校令」は、夜間中学校の制度化も行った。夜間中学校は修業年限3年、入学資格は国民学校高等科修了程度とされた。夜間中学校は、それまで各種学校として扱われていた。「中等学校令」によって中等学校の制度上の同格化が実現し、中学校から実業学校への転校、実業学校から中学校第3学年以下の学年への転校が可能とされた。

中等学校考査諮問(昭和17年3月25日「新函館」)
 昭和初期に続いて入学試験制度の改善がはかられた。昭和10年2月、口頭試問または筆記試問は、小学校教科の範囲内で問題の選定を行わせることとされた。さらに同14年には、内申書・人物考査・身体検査の「三者総合判定」が重視されて、人物考査の際の筆記試問が廃止された。同18年12月には、原則として、「学区制」を実施し、大都市を含む都道府県は「総合考査制」の実施を本体とすることとされた。なおこの場合、人物考査は「口間口答」を本体とするが、補助手段として「筆問筆答」も認められたため、実質的な学科試験の復活がみられるようになった。
 昭和16年3月、中等学校修練組織の基準が示され、それまでの校友会組織は、中学校報国団という課外活動組織に編成された。これによって、役員のほとんどが教職員によって占められ、大正以来実施されてきた自治は認められなくなった。さらに報国団は、学校教練や集団勤労作業や各種団体訓練実施のために、軍隊組織にならった学校報国隊に編成されていった。同18年の制度改革によって「教科」と並べられるようになった「修練」も、こうした課外活動の組織化との関連のもとに成立したのである。修練の指導の要旨は、「行的修練ヲ中心トシテ教育ヲ実践的綜合的ニ発展セシメ」「尽忠報国ノ精神」「献身奉公ノ実践力」を育成することとされ、修練の内容は、「日常ノ修練」「定時ノ修練」「随時ノ修練」に分けらられ、それまでの作業科は「定時ノ修練」や「随時ノ修練」に含められることになったのである。
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ