通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第3章 戦時体制下の函館
第4節 戦時体制下の教育
2 中学校の教育

中学校教育の全国的動向

函館市立中学校の設置

函館高等計理学校の設立

函館市立工業学校の設置

函館市立高等実修女学校の設置

函館市立商業学校の設置

函館市立高等実修女学校の校名変更

私立学校の設置

学徒の勤労動員

学校転換

函館市立中学校の設置   P1196−P1199

 ここで、戦時体制下で設置され、戦後の学制改革を経て、現在の学校にまでつながっている市内の新しい学校のいくつかを取り上げ、その設立の経緯をみていきたい。
 国立公文書館に収められている文部省文書課の「函館市立中学校設置」関係の文書によると、昭和14年12月8日、函館市長より文部大臣あて函館市立中学校の設立認可申請(函教学第906号)がなされている。申請書に添えられた関係書類の1つである「理由書」には、5項目にわたる理由が述べられているが、その要点は、「我ガ函館市ハ夙ニ本道第一ノ人口ヲ有スルニモ拘ラズ中学校数之ニ伴ハズ、中学校入学志願者ハ年毎ニ激増シ其過半数ハ落伍者トシテ失意ノ地位ニ沈倫セシメラルゝハ函館地方青少年ノ為寔憂慮ニ禁ヘズ、且ツ徒ニ人材輩出ノ門戸ヲ閉鎖セルニ等シキハ邦家ノ為遺憾至極ト謂フベシ」という第1項に尽くされているといえる。第1項は続けて、14年4月の湯川町の併合により「現有人口二三万一千ヲ算スル」にもかかわらず庁立函館中学校1校のみでは入学志望者、父兄ともに困憊の極に達するに至っているとし、重ねて入学難の状況を述べている。「由来函館市ニ於テハ尋常小学校ヨリ連絡スベキ男子中等学校ハ庁立中学校並ニ庁立商業学校、財団法人夜間中学ノ三校ニ過ギズ、毎年尋常科男子卒業児童数約二千百余人其ノ殆ド全部ハ高等小学校及中等学校等上級学校進学ヲ希望シ、庁立両校ニ殺到スル入学志望児童ハ両校各々募集人員二百五十名ニ対シ約二倍半ニ達シ過半数約六百人ノ児童ハ不幸不合格ノ運命ニ陥ルノ状態ニアリ」「是等不合格者ノ少数ハ他地方ノ中学校ニ入リ又ハ夜間中学校ニ入学ス、夜間中学ハ主トシテ昼間就職中向学ノ念ニ燃ユル青少年ヲ入学セシメ居ルモ庁立函館中学校不合格者中ヨリノ入学者ハ募集人員百名中約半数ニ過ギズ其ノ大部分ハ高等小学校ニ進ミテ再ビ受験シ居ルノ実情ナリ、然モ毎年志望者多数ニシテ容易ニ入学シ能ハザル故ヲ以テ中等学校進学ヲ断念スル者亦尠シトセズ」というのである。
 理由書には、札幌市を含む道内の他都市との中等学校の学級数の比較も挙げられている。それによると、札幌市は人口20万にして、庁立札幌第一、第二の両中学校や私立北海中学校など中等学校の学級数の合計が83もあるのに対し、函館市では人口23万人に対して、庁立の2中等学校と財団法人函館夜間中学校に32学級が用意されているにすぎないというのである。函館市よりも人口の少ない小樽、旭川の両市がほぼ同じ数の学級を有している事実も指摘されている。
 こうした事態の打開を求めた地元の動きと道庁の対応について、理由書は、「本市ニ於ケル庁立第二中学校設置要望ノ件ハ過去十年来ノ久シキニ亙ル懸案ニシテ道庁当局ニ於カレテモ既ニ設置ノ必要性ハ十分認メラレタル次第ナレドモ只経費其ノ他事情ニ依リ実現ニ至ラズシテ今日ニ及ビタルモノナリ」と述べているが、北海道庁長官の副申もこのことを裏付けている。同14年12月12日付「卯学第1800号」による文部大臣あて北海道庁長官の副申は、「函館市長ヨリ函館市立中学校設置ノ義別紙ノ通申請有之候処右ハ理由書記載ノ通道内各市ニ比シ男子中等学校トシテ其ノ収容力少ク為ニ入学志願者中約六割ハ進学不能ニ陥リ自然競争率激甚ヲ極メツツアリテ児童ノ保護上看過スルニ忍ビザルモノトシテ市民数年来ノ要望ニ依リ昭和十五年四月、四学級並進ノ一校ヲ創設セントスルモノニ有之同市ノ実情ヨリ見テマタ其ノ規模計画トシテ適当」と述べて、中学校の収容力不足による進学難の問題について、市当局の指摘をそのまま認めている。中学校増設の機が熟していたといえる。
 関係書類中の「調書」によれば、位置は「函館市駒場町一九六番地ノ内」とされ、付近の環境が詳細に紹介されているが、これは「願書の体裁上のもの」であったといわれている(北海道函館東高等学校『三十年史』)。設置申請の段階では、市当局にも校舎の新築も敷地の確保も確かな見通しはなかったようである。それが市内の篤志家梅津福次郎の寄付によって校舎新築が可能となり、敷地も柳町に決定し、昭和18年7月に竣工している(『斉藤與一郎傳』)。学科は中学校令施行規則第2条による。生徒の定員は1学級50名、20学級1000名。開校年月は昭和15年4月。「設置計画書」によると、「初年度一年四学級ヲ編成シ逐次逓増シテ五箇年目二十学級完成トシ定員千名トス」るものである。本校舎は昭和17年度において建築し、同15年より17年に至る3か年間は仮校舎を使用の予定とされている。仮校舎は、船見町47番地、旧函館市弥生女子尋常小学校々舎を充当することとしている。
 函館市立中学校の設置認可は、昭和14年12月27日で、12月29日付で告示されている。


建設中の市立中学校と梅津福次郎(『函工五十年史』)

 文部省告示第四百六十七号
中学校令ニ依リ左記中学校ヲ設置シ昭和十五年四月ヨリ開校ノ件昭和十四年十二月二十七日認可セリ
    昭和十四年十二月二十九日
              文部大臣 河原田 稼吉
名 称  函館市立中学校
位 置  北海道函館市
設立者  北海道函館市

 こうして函館市民長年の宿願と運動の成果が実ったのであった。
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