通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第7節 都市の生活と新しい文化

8 大正・昭和前期の函館にみる働く女たちの実相

2 昭和前期

昭和初期の新しい職業と就職戦線

労働運動に参加する女性

電話交換手の職場改善運動

女工・出稼ぎ女工たち

各種婦人団体に集う女性たち

遊廓・カフェーなどで働く女性たち

銃後で働く若い女性

路面電車の車掌・運転手

国鉄で働く女性

国鉄で働く女性   P1017−P1018

 昭和18(1943)年9月22日女子勤労動員促進に関する件が決まり、翌23日に厚生省は男子(14歳〜40歳未満)の就業禁止職種17を指定し、女子の代替を規定した。
 国鉄では既にこれより3年も早く車掌、出改札係などで女子職員を充当していた。日中戦争以来国鉄では男性は大陸進出や産業方面への転出などにより、労働力の不足が深刻化した。そのため「戦時下女性に門戸を解放」と称し、従来は電話交換手・タイピスト・事務員・出札係に限られていた女子の職場をあらため、あらゆる部門で採用することになった(昭和15年12月15日付「函日」)。道内と本州を連絡船で結ぶ玄関口函館駅では19年に入って、男性に代わって短区間輸送列車に見習車掌として女性が登場(昭和19年5月23日付「函日」)、轄轍にも「最後まで鉄路死守」(昭和19年7月12日付「函日」)する少女駅手が登場している。
 戦時陸運非常体制下、旅客や一般貨物の輸送は一部抑えられて、重要資源とくに石炭の本州工業地帯への輸送が優先された。青函間に就航した機帆船では、1日数千トンの石炭荷役のために女性・学生まで動員された。「駅接客従業員の大部分が女子職員に振り返られ、更に運転部門にまでも女子職員が進出し」、「昭和十九年九月十一日鉄道奉公函館駅分会女子班が結成され、班員二五三名、二十年三月では三五〇名に達した」(『先駆−函館駅八〇年の歩み』)ほどであった。これら女子職員は、真っ白な衿を重ねた紺色の上着と紺色のズボン、腰をベルトで締め、三つ編みの髪にリボンを結んだ若い女性たちで、車掌・出改札係など駅の客扱い部門を始め手荷物扱いや構内の轉轍機の転換扱いまで進出し、昭和20年2月から部隊編制となって現場はまさに臨戦体制であった。そのような中で7月14、15日の空襲で甚大な被害を受けたのである(前掲書及び岩崎正『鉄路風雲』)。
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