通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業

6 倉庫業の変貌

2 主要営業倉庫

金森倉庫

安田倉庫

函館倉庫

及能倉庫

日通倉庫

橋谷倉庫

 以下は平成2年に行った企業別聞取調査の記録である。

金森倉庫   P536−P537

 函館営業倉庫の創業は、金森倉庫に始まる。今日まで、その偉容をのぞかせている金森倉庫の、大正以来の活動は、函館営業倉庫の典型である。施設は次のとおりである。
表2−106 金森倉庫昭和期の扱い量
品目
昭和10年
昭和18年
昭和20年
米穀類
海産物類
缶詰類
肥料
塩魚
その他
33,311
47,720
79,537
902
97
2,243

25,171
99,942
1,143

63,111

3,252
1,255
51

35,951
163,810 189,367 40,509
「金森商船資料」より
注)原資料の単位は「俵」となっていたが、これはトンであると考えられる。
 大正初年瓦葺煉瓦造倉庫、2258.41坪、大正6年鉄筋コンクリート2階建倉庫増設、面積252.77坪、計2511.18坪、昭和初年2511.18坪以下昭和20年まで同じ。煉瓦倉庫は、明治43年以来不変である。倉庫取扱貨物量は表2−106のとおりである。
 金森商船は、明治39年11月、明治以来の個人企業から金森合名会社となり、大正5年8月、金森商船株式会社(公称資本金300万円)となったのであり、倉庫業の外、海運業、地所建物の貸付業その他を兼業している。倉庫業の盛期は大正〜昭和前期、米の統制時代までで、ピークは2つあった。第1次ピークは第1次世界大戦頃、第2次ピークは昭和10年ごろである。しかし、最盛期は、むしろ戦争中である。
 倉庫証券は、海産物について、先ず銀行が調査し、一応の枠内で割引いた。倉庫証券には必ず保険がつくことになっているが、倉庫の建物が耐久性あるものに限られた。
 荷役は作業会社が請負った。金森専属の番屋があり(金森番屋)、3班乃至4班の労働者が詰めていた。各班に班長がおり、1班10人であった。米の動いている頃が最盛期で、すべて、肩荷役であった。米は16貫が1俵で、強い人は2俵はかついだ。女人夫もいたが、彼らは、海産物の細(こまい)を扱った。スルメは女人夫は使わない。倉庫には、倉庫係が1人ずつ荷さばき所にいて、管轄倉庫を任せられていた。正規社員で現場にいるものは、それだけで、筋肉労働者は、社員ではない。倉庫前までは馬車(陸上)及び艀(海上)で、貨物を運んだのである。扱ったのは海産物のスルメ、コンブ、北洋の缶詰、バラ鮭鱒、それに米である。
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