通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業

6 倉庫業の変貌

2 主要営業倉庫

金森倉庫

安田倉庫

函館倉庫

及能倉庫

日通倉庫

橋谷倉庫

橋谷倉庫   P540−P541

 橋谷倉庫は、昭和2年に海岸町に建設、鉄筋コンクリート、平屋建て2000坪。棒タラ、塩、イワシかす、魚粉、澱粉、コンブ、砂糖、醤油など。明治後半、神戸で海運業、商業を営んでいた橋谷巳之吉は沖縄地区から原糖を買付け、運送していた。船は3隻から5隻所有。函館には大正年代に来て、砂糖などを販売していた。神戸では橋谷株式会社を創立していたが、函館での活動は、巳之吉個人として行った。
 鉄道岐線を敷いた走りは当社で、当時、橋谷は一体何を考えているんだといわれた。この側線は、鉄道で運送する貨物を直接格納するために敷いた。なぜなら、堀割を作って、艀運送ができなかったからである。当時、大部分、西部に立地していた倉庫会社は、皆、堀割を作って、海運貨物を扱っていたのである。海岸町に立地する当社の倉庫は、開業当初から艀、港運業抜きの鉄道から倉庫へ直結する運送方法によったわけで、この点、手作業中心の旧函館港に相対する機械化港湾、若松埠頭に相応する倉庫荷役形態であった。
 しかし、倉庫荷役自体は、相変わらず手作業の肩荷役である。倉庫の戸前まで鉄道岐線で貨車を運び、その貨車に歩み板をつけて、1庫につき、5、6人の庫人夫が肩荷役で貨物を卸し、庫へ出し入れする。貨車の中に3、4人の人夫がいてこれを手伝う。これが一個小隊を作るのである。ほぼ1人30〜60キロの貨物をかつぐという。庫内では、その貨物を受け取る人夫が9人くらいおり、肩荷で所定の場所に積付ける。この積付が2人おり、外に貨物の数量を確認する「マンボ」(検数係)がいる。この肩荷役作業は請負に出す。古いことは分からなかったが、戦中戦後に笹井海運、日通、協立組、斉藤組に請負わせていたことがあるという。外に職安から日雇を出してもらうこともあった。これらの業者は番屋を立てて拠点としていた。
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