通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第2章 高度経済成長期の函館 「文化団体協議会」の結成 |
「文化団体協議会」の結成 P583−P585 昭和39(1964)年10月23日、函館市内で活動している文化団体をまとめて、より一層、文化・芸術部門の発展と普及に寄与することを目的に、函館市文化団体協議会(略して「文団協」)が設立された。当初は、50ほどの団体の加入が見込まれていたが、実際に出席したのは33団体であった。この会は個別に活動している文化団体が相互の連絡をおこない、グループの健全な育成と市民文化の向上を意図して結成されたものである。また、各文化団体の交流や事業の推進、文化集会、講演会などの文化的行事を開催したり会報の発行をおこない、市内における文化団体のうちから、理事会が加入を承認したグループで構成することとした。さらに、39年度市民文化祭行事として市民文芸作品集の発刊、11月におこなう「市民文化交歓の夕べ」を予定し、事務局を函館市教育委員会の社会教育課内においたのである。 初代会長には、「函館文化会」会長で当時の社会教育委員でもあった阿部平三郎を選出し、文学、絵画、書道、音楽、芸能、演劇、写真のグループの代表者が理事として名を連ねることになった(昭和39年10月24日付け「道新」)。 結局、発足時の加盟団体は「函館文化会」をはじめとする19団体にとどまった。しかし、その後には新加入団体や退会あるいはグループ同志の合併もあり、結成後5年を経た昭和44年度には35団体となっていた。
従来、発表の場は拓銀ビル大ホール、労働会館、共愛会館、デパートの催事場を借用していたが、昭和45年7月には、大ホール・小ホールを備えた市民会館が完成するにおよんで、一段と文化活動の活発化を促すことになった。 なお、結成後20年を記念して出版した『文団協二〇年』誌より、当時の加盟団体一覧を示しておくことにする(表2−42参照)。 また、昭和57年には、「文団協」独自の表彰制度となる「白鳳章」と「青麒章」が制定され、同年11月、最初の贈呈式がおこなわれた。一般的には、協会賞・奨励賞に当たるこの賞の命名は、その時の会長職にあった清水信勝によったものである(函館市文化団体協議会「文団四季」No.55)。第1回は義太夫、絵画、筝曲、川柳、バレエの分野で活躍した個人と団体に対し、それぞれ賞状と記念の賞牌が渡された。 次に、「文団協」の中では一番古い歴史を持つ団体としての「函館文化会」と「文団協」には加盟していない文化団体のなかでも特異な存在である「函館啄木会」の活動について記しておくことにする。
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