通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第2章 高度経済成長期の函館 教育課程の自主編成へ |
教育課程の自主編成へ P560−P561 昭和33年の学習指導要領の改訂は、教育界に大きな波紋を呼び起こすこととなった。とくに、文部省令の改正により、学習指導要領の国家基準性と拘束力が強調されたことは、戦後の教育課程を巡る制度の転換を意味するもので、大きな反響を呼ぶこととなった。これを機に、教職員組合を中心に、教育の国家統制に対抗する教育課程の自主編成の運動が展開されることになった。ここで、函館における自主編成の事例をみていくこととする。昭和34年4月発行の、北海道教育課程問題研究会編集の『教育課程研究』第1集は、「自主編成とはどんなことか」について特集しており、自主編成の実践事例を掲載している。亀田小学校の実践をみることとする。 亀田小学校の報告は、同校の戦後のカリキュラム研究と実践の歩みを振り返って、カリキュラム編成の現状を位置づけており、日本の戦後教育の歩みを象徴する叙述になっている。 わたしたちは、戦後、アメリカ特にJ・デューイの教育学説に刺激され、いわゆる新教育をどのように実施するかを究明したが、けっきょく、われわれ自身の手で、われわれの子どもを育てる教育課程をつくらねばならないと考え、着手してからすでに十一年たった。その間、実践から生まれた反省をもとにし、また、数次の公開を通じて受けた批判の中から生まれた教育の方向をまとめて、現在の教育課程を編成するにいたったわけである。 学校の教師たちが、自分たち自身の手で、子どもを育てる教育課程を作らなければならないという自覚と使命感をもって教育に取り組んでいる、緊張感と喜びが伝わる記述であり、自主編成運動の原点を示しているといえる。亀田小学校では、改訂された学習指導要領のもとでの、教育課程のあり方について、図2−38のような立場を提示し、実践に取り組んでいる。亀田小学校の教育課程は、引用に見られるように、戦後の生活教育の延長線上にあるもので、そのことは、3層4領域のカリキュラム構造に端的に現れている。その意味では、自主編成運動初期の実践の特質を色濃くにじませているといえる。
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