通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
|
第2章 高度経済成長期の函館 教育課程の編成 |
教育課程の編成 P559−P560 昭和30年1月の教育課程編成委員会の発足以来、第1年度において、市民各層の協力と、編成委員の努力、実践に当たっている教師の努力があいまって、第1次案の編成をみることになった。その後、各教科、教科以外の活動、その他の分野にわたって実験研究学校を設定し、第1次案の実験研究を積み重ね、実践記録を集積している。 第2年度においては、これらの資料をもとに、学習指導要領の改訂をも勘案して、実際指導に一層役立つ第2次修正案の決定に至ったのが、昭和33年3月のことであった(函館市教育課程編成委員会『小学校教育課程社会科(全学年)』「序文」昭和33年)。市民各層の知恵を結集して編成された教育課程は、教育史上最初の試みであって、その後、教育課程の問題が、教育の中心課題として、国民的関心を呼び起こすことになっていく原点ともいえる出来事である。昭和30年代なかばに、教育課程のあり方を巡り、保守と革新の対立が激化し、収拾の困難ななかから、学校関係者が結集し、教育課程研究委員会が組織され、活動していったのも、こうした経験の基礎があってのことといえるだろう。 また、昭和30年代以降、教職員組合を中心とする革新勢力による教育課程の自主編成の動きが活発になるが、その背景として、函館市や各学校における独自の教育課程編成の経験があったことをあげることができるだろう。 |
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第4巻第6編目次 | 前へ | 次へ |