通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第2章 高度経済成長期の函館 全国一斉学力テスト反対闘争
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全国一斉学力テスト反対闘争 P556−P557 文部省は、昭和31年以降、学習指導、教育改善の基礎資料として、学力調査を実施していた。昭和36年に至って、小学校・高等学校の抽出学力調査、中学校の1・2年生の悉皆調査をおこなうことを、都道府県に通達した。小学校・高等学校の学力調査は、9月26日実施、中学校の一斉学力調査は10月26日実施を予定するものであった。それに対し、それまでにも、文部省の学力調査は、改悪学習指導要領の現場への浸透状況を点検するものであり、教師の勤評の材料および督励の鞭にしようとするものだとして、反対の態度をとってきた日教組は、学力テスト拒否体制の確立の方針を決定し、全国的な闘争の気運が高まっていった。 北教組でも、日教組の統一闘争として、闘いを組織することを決定して、学力調査完全拒否の取り組みを指示していった。函館でも、小学校の抽出校2校、高等学校1校での実施が予定された。9月26日の学力テスト当日には、北教組函館支部は、中止要求の行動や反対集会を開いて、強力に抵抗を試みた。市教委は、26日早朝に至って、テストの中止を決定し、高等学校でも実施に至らずに終わった。 10月26日の中学校の一斉学力テストは、北教組函館支部組合員のほか、支援の労働組合員や父母らの阻止行動が熾烈をきわめ、結局、市教委は、午後になって、各学校に中止の指示を出すこととなった。全道の中学校1322校中、完全中止564校となっている。なお、この日の闘争に関しておこなわれた行政処分で、函館の教員5人が減給の処分を受けている。翌37年の学力テストでは、道教委の強行実施の姿勢と北教組の絶対阻止の対決が再現されたが、函館では、実施条件を巡る関係者間の話し合いが功を奏し、平穏に実施をみた(前掲『戦後学校教育の五十年』)。 勤評反対闘争も学力テスト反対闘争も、この時期に平行して起こった学習指導要領の改訂、道徳の時間の特設、学校管理規則の制定の問題を巡る行政側と教組の対立と相互に絡み合い、混乱を大きくしていったのであった。いずれにせよ、高度成長期を特色づける出来事として特筆すべき事柄である。 |
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