通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第2章 高度経済成長期の函館 戦後復興期と高度経済成長期の函館 |
戦後復興期と高度経済成長期の函館 P498−P499 このような函館もほかの日本列島内の多くの都市と同じように、第2次世界大戦後の復興から都市の発展が始まっている。ただ、都市構造と住文化という観点から函館を取り上げた場合、空襲にともなう被害がほかの日本列島内の主要都市に比較して少なかったことは、戦前の都市文化を継承できたという意味で有利な点であったろう。とくに観光資源として活用されるようになる旧函館区公会堂、旧イギリス領事館、旧ロシア領事館、ハリストス正教会などの文化財建造物がほとんど温存されたことは、有数の観光都市として発展することになる函館にとってみれば決定的に重要である。そのような函館に大きな転換をもたらしたのは昭和30年代中頃に始まるいわゆる高度経済成長であった。日本列島全体が大きく変貌したこの時期は日本列島の北、北海道の玄関口という位置を保っていた函館にとっても決定的に大きな転換となった。ここで取り上げようとしている高度経済成長期の函館とは、ちょうど石炭の時代の繁栄を基礎にして、石油の時代へと大きく転換する時期の都市ということになる。もちろん東部地区からさらに周辺部に都市域は拡大したが、『函館市史』都市・住文化編で取り上げたように、戦前のかなり早い段階にまっすぐで広い街路など、近代的な都市計画による都市構造ができあがっていた西部地区と中央部地区、さらに開発が進んだ東部地区までも含んだ函館市域内においては、地図に示された都市形態、とくに都市の外観だけ見ると、目立った大きな変化はなく、むしろ停滞気味であったという考え方もあるかもしれない。しかし、この間の函館市域を中心とする函館圏の総合計画の推移と実際の内容、そして、たとえば函館空港に象徴される市域周辺部の変化が函館市民に及ぼした影響はもちろん大きかった。 ともかく、戦後復興後の高度経済成長期の無秩序な拡大膨張、そしてその後の石油ショックによる大きな混乱を経た結果、都市の空間的発展というものに対してバラ色の未来があるわけではないことは認めざるを得ない日本の現実がある。このような反省の時期にあって、函館という都市の現在と未来を考えるには、この間の函館の都市構造の変遷の具体的なあり方とその独自性、そしてそのような都市構造の変化が函館に暮らしていた人びとの日常生活とどのような関係にあったのかを考えておくことが、現在必要なことであり、この『函館市史』第4巻もそのような作業の一環として位置づけられるであろう。 |
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