通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第2章 高度経済成長期の函館 そのほかの港湾施設 |
そのほかの港湾施設 P471−P473 昭和33年中央埠頭完成後に手掛けたのは、同年着工の北埠頭(北浜埠頭ともいう)の水深7.5メートル岸壁1バースである。北埠頭には、ほかに水深5.5メートル岸壁2バースがある。後者の完成は45年であった。北埠頭は有川埠頭の西側に隣接して建設され、浅野町や北浜町など函館市内の工業密集地帯(日産化学や日本化学飼料など)を背後に持った工業港としての埠頭である。さらに翌37年度から39年度までの3か年で、港町地先、有川埠頭の北隣に木材取扱施設防波堤380メートルが建設された。廃油処理施設の完成は47年であった。北埠頭に続く万代埠頭の建設は、昭和46年に開始され、48年度に完成した。万代埠頭は、万代町地先水面にあり、中央埠頭の北、北埠頭の西側に建設され、この2の埠頭に挟まれている。万代町港湾地域には函館倉庫、日通倉庫、函館米穀株式会社の精米工場などがあり、北埠頭との間に、シェル、昭和石油油槽所がある。函館港最初の水深10メートル岸壁と、水深10メートルの航路泊地31万8800平方メートルを持つ、函館初の1万トン級貨物船接岸可能な岸壁である。万代埠頭の造成をもって函館港の近代港湾化は一応完成した。なお、昭和48年以降、豊川地区に水深5メートルの岸壁が新設され、西埠頭の改良工事がおこなわれて、西埠頭に水深9メートル岸壁が造成された(61年完成)。 平成9(1997)年現在、函館市が管理する係留施設は表2−29のとおりで、被覆内(防波堤内)面積は714万2500平方メートル、216万坪である。 港湾の機械化・近代化が進行する一方で、港湾運送事業者が衰退の途をたどったことも記しておかねばならない。事業所は昭和30年代なかばまでは、20か所以上あったが、40年代に入って大きく減少した(表2−30)。 なお西防波堤(北海道第2期拓殖計画で着手)と北防波堤(昭和20年から26年の運輸省所管函館港修築工事で着手)工事は、引き続き函館開発建設部が、嵩上げや延長工事などをおこない、平成9年現在、西防波堤の延長は1146メートル、北防波堤の延長は896メートルである(『一九九七 函館港』)。
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