通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ 児童・生徒の長期欠席と青少年犯罪 |
児童・生徒の長期欠席と青少年犯罪 P257−P260 日本における児童の就学率は、大正9年(1920)にはすでに99パーセントをこえ、戦後義務教育年限が延長され、新制中学校の義務制が実施された後も、就学率は99パーセントをこえており、就学率の点では、問題はなかったといわれる(前掲『日本現代教育史』)。しかし、問題は児童・生徒の出席状況にあった。家庭の貧困などの理由による長期欠席が、義務教育の問題として全国的に取り上げられていた。長期欠席の問題は、青少年の不良化との関連でも問題になる事柄であった。函館の場合にも、事情は、全国的な動向と同じである。家庭が貧しいので、働かなければならなかった子どもが少なからず存在した。とくにイカ釣りの時期の児童・生徒の就労が大きな問題となったことは、函館の特徴といえよう(表1−51・第7編コラム12参照)。義務教育の制度が備わっても、現実にその実質が整うまでには、しばらく時間がかかったことは否定できない。児童・生徒の長期欠席は、急速な解決は困難であった。
昭和24年における全国の小・中学校の長期欠席の割合は小学校が4.15パーセント、中学校が7.68パーセントとされているので(前掲『日本現代教育史』)、函館の長期欠席者の状況は、全国の動向とほぼ同じ傾向を示していたといえる。 長期欠席の理由としては、中学校で「家事手伝い・家計補助」、「家計を助けるため外で働く」が大きな比率を占めているのがとくに注目される。まさしく世相を反映するもので、学業よりも生計第一の深刻な世相がうかがわれる。また小学校では病気についで家庭の教育に無関心な結果によるものが予想外に多いのは注目される(「長期欠席児童生徒調査報告書」第2集 昭和27年度)。 この調査結果に基づき、長期欠席対策委員会では、医療保護、生活扶助、家族の就職あっ旋、保護者の啓発に極力つとめ、一方で学校に対してはこれら長欠者も楽しく通える学園にするよう要望したという。 敗戦に伴う社会の混乱を反映して、青少年犯罪の増加が全国的に問題になっていたが、函館でもこの時期に、青少年犯罪が増加していた。昭和24年12月4日付け「北海道新聞」は、「青少年犯罪昨年の二倍以上」、「小、中学生の窃盗もますます増加」の見出しで、次のような報道をしている。 「青少年善導団体が日夜不良化防止に神経をすりへらしているにかかわらずますます青少年の犯罪は増加の一方にあるが函館方面警察隊が今年一月から十月末日まで青少年犯罪不良行為取調数は一千百九十三名(うち女子百八十七名)で昨年にくらべて二倍以上の数である、この内訳をみると刑法犯では窃盗が一番多く小学生八十七名(女子十五名)中学生百四十六名(女子十二名)高校生七名(女子三名)計二百四十名(女三十名)このほか無職百十四名(女四十四名)で漁業、日雇その他が計四百一名(女九十一名)合計七百六十二名、つぎに横領が三十名(女四名)でうち学生が八名、詐欺が三十一名(女四名)うち学生が五名、特別法犯の軽犯罪、鉄砲所持禁止、経済違反などが四十二名(女十九名)また不良行為の喫煙は男のみで三十六名、うち学生が十七名、さらに学生のうちで中学生が十名もあり注目される、以上の犯罪青少年のなかで学校在学中のものは小学校百三十八名(女二十八名)中学校百九十名(女十九名)高校十二名(女四名)でしかも悪質犯罪は学生に多いことが注目され学校および父兄や関係機関の特別な指導が要望される」。 新制度により新たな出発をした学校教育は、このように多様な問題に直面し、制度理念の実現が容易でないことを実感させられる状況にあった。 |
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