通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第1章 敗戦・占領、そして復興へ 聞き書き″農地改革″ |
聞き書き″農地改革″ P207−P210 函館市史編さん室では、農地改革の時期に地主として所有農地を買収される立場であったA氏から聞き取り調査をおこなった。これによると農地買収の様子は次のとおりであった。
1年分の数百円をうけとるのに電車賃と印紙代を負担して市役所まで行かなければならず、少額なのにばかばかしく、一度、受け取りに行ったが、あとは行かなかった。それで証券は今も手元に残っている(A氏の場合、昭和24年から同48年分割支払の証券となっていて、それが保存されていた)。このように証券の現金化をしなかった人も多かったと思われる。 買収金額は、水田は1反300円、畑は100円から150円くらいだった。 在村地主の保有限度は函館地区で8反まで、湯の川地区で2町5反までであった。函館地区では田家町、白鳥町地域に大きな農地があったほか、柏木町、乃木町、人見町あたりにも農地がけっこうあった。これらは小作人にただ同然に払下げられたのだが、払下げを受けても農業を長く続けた人は少なく、10年ほどのうちに売却した人が多い。市が市営住宅の用地を探していたので、人見町あたりでは坪当り420円で売却した人がたくさんいた。この頃、闇米1升200円、イモ1俵(50キロ)500円だった。当時、何か文句をいおうものなら「占領政策を阻害するのか」と役人にすごまれた。「何しろ、マッカーサーは天皇よりエラカッタのだから。」 このA家の農地などについての買収、売渡の状況を『農地等の買収売渡確定調査』(北海道立文書館蔵)のなかでみることができた。所有者名あるいは旧所有者名としてA家が書き込まれている部分を摘記して表示したものが表1−42、表1−43である。 表1−42によれば、田、畑、採草地あわせて13町歩余を1万1000円余りの対価で買収されたほか、報償金2400円余りの支払をうけている。田1反299円87銭余り、畑1反105円69銭余りの計算となる。支払は496円41銭だけは現金で、残りは証券であった。証券は1万3000円分のところ、1万7000円分が支払われたので4000円を減額訂正しなければならないように記載されている。この減額がどのように処理されたのか、証券の現金化がどのようにおこなわれたのか、おこなわれなかったのか、についてはこの資料からは知ることができない。 報償金は、次のような考え方で定められていた。買収対価の基準となっている自作農収益より、地主の小作料収取による収益の方が大きい、という実態をふまえて、中小地主保護のために、その差額を補うというものであった。田については反当り220円、畑については130円を限度として、1世帯12町歩までの分を報償金として支払うことと定められていた。表1−42で計算するとA家の場合、田については反当り82円余、畑については30円余りであった。 表1−43は、表1−42のように買収された農地などが12名の小作農家に売渡された様子を整理したものである。全部で16件の売渡しの対価の合計は、A家が買収された時の対価と正確に一致している。徴収にあたっては、一部、少なめに徴収した件があって増額の訂正が記入されているが、全額が一時払で納入され、年賦払は1件もなかった。 売渡面積の合計は、わずかだが買収面積より少ない。理由は不明である。 表1−43にも表1−42と一致する買収期日−昭和23年7月2日が記入されている。湯川地区の買収関係集計表、売渡関係集計表にも、第7回目の買収、売渡がこの日付でおこなわれたことが記されている。いわゆる「瞬間売買」(『北海道農地改革史』下巻)の形式−国が買収して、売渡すのであるが、国は1日たりとも保有することはない−が明示されていることになる。 以上の資料の紹介とくらべると「聞き取り」の内容がかなり正確なことが知られる。在村地主の保有限度について函館地区と湯の地区との間には差があったとする点は『北海道農地改革史』下巻の表記(函館地区、湯川地区をあわせているらしい函館市としてひとつの表記のみである)より正確なのかも知れない、と思われるほどである。A氏は、証券をほとんど現金として受領しなかったのだという。小作地を文字通りただ同然で解放したことになる。しかし、売渡を受けた小作農家は、一応、合理的に算出された対価を一時払できちんと納入していたのである。 敗戦後のインフレ経済の状況下に、有償の小作地解放−農地改革は「ただ同然」の解放−という実態を呈した。「占領政策を阻害するのかと役人にすごまれた、マッカーサーは天皇よりエラカッタので」という話ともあわせて、地主側からみた農地改革の断面をよく表わしている「聞き取り」資料である。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第4巻第6編目次 | 前へ | 次へ |