通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第2節 地方自治の民主化と市政
4 市警察の設置と廃止および市消防の設置

自治体警察の誕生

昭和29年の新警察制度への移行

函館市消防署の設置

函館市消防署の設置   P154−P156

 戦時下の昭和15年3月に函館市防衛課所管の函館市警防団消防部となっていた消防は、昭和18年7月15日の「特設消防署規程」(勅令第350号)により北海道庁所管の函館消防署となり、部員と施設はそのまま函館市から北海道庁へ移管され、以降3か年間の消防警備費76万8255円は函館市から北海道庁地方費へ寄付され、長い間函館警察署長の指揮下にあった消防が、官設消防として北海道庁の警察部長直属となった。警防団の消防部長であった菅原重太郎がそのまま消防署長に任命された(函館市消防本部『沿革史』)。戦時下に押し進められた地方の中央集権化の一環であった。その後署長は、昭和21年1月11日に桐山勝(室蘭消防署長)となり、そのまま敗戦の日を迎えた。もっとも消防全般に関する事務は、戦前から警察事務の一分野で中央機関として内務省警保局があり、昭和17年以来は警保局警備課が所掌していた(財団法人日本消防協会『日本消防百年史』第3巻)。
 戦時下に耐乏を強いられ、戦後は一層物資不足が深刻となり、消防設備の消耗が進んだ。そこで消防設備の復旧強化が企画され、寄付金を募りポンプ車改造、報知器の改修、消防専用電話の新設などがおこなわれた。強化費としては118万5000円(寄付金60万7800円、道支出金27万8000円、市補助金30万円)を要した(前掲『沿革史』)。とくに5台製作されたタンク付き消防自動車は、全国的にも注目され、「名物消防に新威力 タンク自動車颯爽と登場」(昭和22年3月5日付け「道新」)と喧伝された。強化費の半分以上を占める寄付金は、昭和9年の大火の経験もあって函館は消防力強化への関心の強さが示されたものといえる。
 昭和22年4月30日、消防団令(勅令第185号)が公布された。これより先、昭和21年11月30日に水上関係者は再び市移管になり、函館水上警防団常備員となっていたが、9月5日に水上消防団(4個分団、初代団長富永格五郎)が結団され、陸上消防団(8個分団、特別消防隊1個分団、初代団長菅原重太郎)は9月30日に結団式をおこない、事務所が役所民籍課内に置かれた(前掲『沿革史』)。
 警察法が施行された昭和23年3月7日に、消防組織法(昭和22年12月23日公布法律第226号)も施行され、「消防は、……国民の生命、身体及び財産を火災から保護するとともに、水火災又は地震等の災害を防除し、及びこれらの災害に因る被害を軽減することを以て、その任務とする」(第1条)とされ、第9条で、消防組織は自治体の機関と位置づけられ、市町村は、その消防事務を処理するための機関(消防本部、消防署、消防団)の全部又は一部を設けなければならないこととなった。同日付けで函館消防署は北海道庁警察部の所管から人員施設共そのままに函館市へ移管、消防本部の下に函館市消防署が置かれ、桐山勝が消防本部長兼函館市消防署長となった。3月11日の開庁式に、小西消防士補が「われわれは日本国憲法及び法律を守護し命令、条例及び規則を尊重し、函館市民の奉仕者として良心に従って誠実且つ公正に消防職務の遂行に当ることを固く誓う」と宣誓、自治体消防の道を歩み始めたのである。
 消防は、基本的には自治体の区域内を担当することと、消防活動に関する報道も、「施設は″日本一″函館消防署に内定通知」(昭和24年11月7日付け「道新」)「″函館は全国一″の折り紙 消防施設の優劣表できる」(昭和26年12月7日付け「道新」)とあり、市民が消防団員として活躍することもあって、自治体消防は定着の方向で認められていった。
 なお、消防団令は、組織法施行で政令第59号として公布施行され、勅令の消防団令は廃止された。勅令は警察が監督する「令」であったため、消防長・消防署長のもとで行動する消防団令に改められたのである(前掲『日本消防百年史』第4巻)。

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