通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


「函館市史」トップ(総目次)

第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第2節 地方自治の民主化と市政
4 市警察の設置と廃止および市消防の設置

自治体警察の誕生

昭和29年の新警察制度への移行

函館市消防署の設置

自治体警察の誕生   P150−P153

 昭和22(1947)年12月17日、警察法(昭和22年法律第196号)が公布された。前文で目的を「国民のために人間の自由の理想を保障する日本国憲法の精神に従い、又、地方自治の真義を推進する観点から、国会は、秩序を維持し、法令の執行を強化し、個人と社会の責任の自覚を通じて人間の尊厳を最高度に確保し、個人の権利と自由を保護するために、国民に属する民主的権威の組織を確立する」とうたい、「日本国憲法」(昭和21年11月3日公布、22年5月3日施行)第8章に「地方自治」の精神を具現化するものであった。なお、「地方自治の本旨」(第8章地方自治第92条)を実施するための法律「地方自治法」も憲法と同日に施行されている。
 この警察法の特徴は、できうる限り警察権力の分権化をめざしたもので、国、都道府県、市町村に民間人からなる公安委員会(委員は国5人、都道府県3人、市町村3人)を設け、警察の民主的運営管理を図ったことである(『地方自治百年史』第2巻)。市および人口5000以上の市街的町村には、「自治体警察」を設け(第40条)、経費は当該市町村の負担とし、自治体警察が設けられない地域を管轄するために、都道府県ごとに「国家地方警察」が置かれ(第27条)、都道府県庁の所在地には「国家地方警察本部」が置かれ、北海道には支庁の区画で14以内の国家地方警察の本部を置く(第28条)とされた。
 北海道庁は法の施行を待たず、翌年年正月から新警察制度を仮発足させることとし、12月8日に全道の警察署長会議を開き、新警察機構を決め(昭和22年12月12日付け「道新」)、12月27日に令第632号により「国家地方警察官及び自治体警察官吏の配置定員数」を定めた(『函館中央警察署史』)。函館には、函館市(自治体)警察署、国家地方警察函館方面本部、函館国家地方警察署(主に亀田郡地区担当)、函館水上国家地方警察署の4つの警察署が置かれることになったのである(北海道は国家地方警察署を地区警察署と称した(『北海道警察史』2)。「自治警察はどうあるべきか」を問われた宗藤市長(函館市公安委員任命権者)は、「まず暴力なき警察として市民の生活保護を第一義とする、警察官となるのだから警察官自身も自粛し市民もまた敵視するようなことはなくなるだろう……さいわい自分も昔の巡査上がりだからこの体験に時代味を加え市民に喜ばれる自治警察として運営したい」と答えている(昭和22年12月7日付け「道新」)。
 ついで、自治体警察の要「公安委員」の人選が焦点となった。「公安委員」は、「市長が任命した三名の公安委員で委員会を創り運営管理(公共秩序の維持、生命財産の保護、犯罪予防と鎮圧、犯罪捜査、被疑者逮捕、交通取締、法令による裁判官、検察官の命令と経済安定本部の法令に基づく委任事務)、行政管理(人事、組織、予算)、警察官任命の権限を持つものである……資格は一切の私心を去り、法理論を解し、世情に明るく、人格高潔な被選挙権を有する市民に限られ」、その人選については「宗藤市長が″思い余った″と市民の知恵を借りたがっていた……今日中に市長の腹案が出来、十九日の市議会にかけて議員の同意を求める」、と報道された(昭和22年12月17日付け「道新」)。函館市公安委員3名のうち東邦水産社長小川弥四郎(60歳、北洋漁業社長、函館商工会議所顧問)1名を内定したまま17日流会となったていた市会議員懇談会は、18日再開し、市長指名の平塚禄郎(41歳、学習院高等科卒、京都帝大経済学部卒 函館倉庫、日本栄養薬重役、平塚常次郎氏の女婿)、宮岸十次郎(58歳、北部機帆船運航株式会社重役)を内定(昭和22年12月19日付け「道新」)、19日の議会で承認された(「第十一回定例市議会速記録」)。昭和23年1月6日、函館市公安委員会の初委員会が開催され、1月1日付けでの委員の任命後、任期の抽選をおこない、小川弥四郎が3年、宮岸十次郎が2年、平塚禄郎が1年と決定、互選により小川弥四郎が委員長となり、函館市警察署長に函館警察署長佐々木光男を任命、毎週水曜日午後2時から定例委員会を開催することとなった(昭和23年1月7日付け「道新」)。函館市警察署、国家地方警察函館方面本部、函館地区警察署が、それまでの函館警察署庁舎に入り、合同庁舎として使用、任務に就いた(『函館中央警察署史』)。警察法は3月7日に施行され全国的にはこの日から自治体警察が動き出したのである。その後水上警察は全国的にみて自治体警察へ移管されているところから、函館市警察に移管されることになり、6月14日の第7回臨時議会で「函館市の警察署の位置名称及び管轄区域設置条例の一部改正」が議決され、「函館市水上警察署」(位置 函館市仲浜町1 区域 函館市所属区域並びに函館桟橋駅構内及び築堤)となった(『函館市公報』第25号)。市警察署が2署となったことで、「函館市警察本部の設置に関する条例」(8月1日施行)を可決し、函館市警察本部を置きその下に函館市警察署と函館市水上警察署が置かれる体制となり、本部長には警察署長の佐々木光男が就任した(『函館市公報』第27号)。
 「北海道新聞」は、自治体警察への移行に先立って、「新警察制度の運営について」と「地方財政を確立せよ」との「社説」で(昭和22年12月12日・24日付け)、危惧する点「(経費を当該市町村としたことで)地方自治体の苦しい財政現況からすれば警察や消防の施設費用、人件費を負担することは無理」であることと「いわゆるボスが警察権を悪用する懸念(この懸念へはリコール制の採用を付記)」を指摘のうえ、政府の善処を要望し、「新警察制度を生んだ民主的権威を確立する目的に向かって、一般国民も警察官も近く成立する警察法の意義と内容を十分咀嚼して、自らの自由と権利とを保持するために、明確なる認識を持つよう努めるところがなければならない」と、市民ならびに警察官がともに新警察制度への認識を深めることを期待した。「新警察制度の実施を機会に」「世論の重要性」を述べた警察官笠井博の投書「警察官と世論」の主張はこの思いを端的に表現している。
 新制度はすこしも警察の退歩を意味するものではない。私は世論が強く正しく支持してくれるなら、何人にも屈せず、何等の懸念もなく思い切った仕事が出来ると思う。もちろん警察が民衆の支持を受けるためには警察自身が民衆から敬愛されねばならぬ。確かに過去の警察は民衆から敬愛されていなかった。私は民衆の公ボクであるべき官公吏を過誤なからしむるよう、正しい世論を喚起することは民主政治のもとにおいて各人に与えられた貴重な権利でありかつ義務であると思う。ことに自治体警察は市民の警察である。私は市民の支持を後ろ盾として全市民より拍手をもつて迎えられるような″ファインプレイ″を次々に送りたいと思う
                                         (昭和二十三年一月十三日付け「道新」)
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第4巻第6編目次 | 前へ | 次へ