通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第3章 戦時体制下の函館
第3節 統制下の北洋漁業
1 北千島鮭鱒漁業の勃興

北千島鮭鱒漁業の展開

北千島の鮭鱒缶詰業

北千島の鮭鱒缶詰業   P1181−P1183

表3−25 北千島の鮭鱒缶詰業(昭和9年)
企業名
本社
ライン数
原料調達方法
缶詰生産高
自営船
契約船

東邦水産
北千島合同漁業
北千島漁業運送
沖取合同漁業
幌延水産
内海吉之助
藤野缶詰所
北海道漁業缶詰
八木本店
太平洋漁業
千島漁業合資
袴信一郎

函館
札幌
根室
東京
函館
函館
東京
函館
東京
函館
東京
富山

2
2
1
2
2.5
2
1
2
1
2
1
1

10
23
12
5




5
5
4
3



2
14
48
10
15
20
7
17


10
23
14
19
48
10
15
20
12
22
4
3

26,416
26,141
13,925
34,579
48,291
21,834
20,293
37,413
15,206
37,318
8,250
21,179
 
19.5
67
133
200
310.845
『北千島二於ケル水産業調査報告書』より作成
生産高:『北千島の水産概要」(北千島水産)より
 北千島の鮭鱒缶詰業は、流網漁業に並行して発展を遂げることになった。流網漁業が開始された昭和8年には、幌莚島摺鉢湾に幌莚産業と東邦水産の2工場、村上湾に千島漁業の1工場、そして占守島村上岬に袴漁業の1工場と計4つの缶詰工場が新設され、缶詰8万7227函が生産された。この後水揚量増加の期待が高まるのに応じて、缶詰工場建設の希望が相次ぎ、北海道庁は、流網の場合と同様、「北海道水産物罐詰製造取締規則」(昭和9年1月)を制定して、北千島の缶詰業を北海道長官の許可制度の下に置き、工場ライン数を25ラインに制限した。こうして昭和9年には、許可を受けた11企業が、12工場19ラインの設備で本格的な缶詰生産を開始したが、わずか1年の間に、前年の3.5倍にあたる31万函の缶詰を製造した(表3−25)。これらの缶詰工場では、原料の一部に、島内の定置網や母船式沖取漁業の漁獲物を使ったが、大部分は北千島の流網漁船の漁獲物を使用した。原料となる鮭鱒の調達は、流網漁業を直営する缶詰工場では、自営船の漁獲物に加えて、一般漁船の漁獲物を買い付けていたが、自営船を持たない工場では、それぞれ流網漁船と買魚契約を結び原料魚を買い付けていた。この場合、自営船を持たない缶詰工場では、200隻の流網漁船から自営船67隻を除いた、残り123隻の漁船から漁獲物を買うことになるが、契約漁船を自己の工場に獲得するため、各缶詰工場は漁船の争奪を続け、漁船相互間の摩擦と缶詰工場間の競争が年と共に激化した。
 こうした業者間の過当競争を抑制するため、北海道庁は、漁業者と製造業者を集めて漁船所属分野協定協議会を開き、両者の協調を図ってきたが、その調整はしばしば難行した。協議会では、缶詰業者の買魚価格が決められていたが、缶詰業者間の競争の結果、魚価は年々上昇を続け、紅鮭1尾の価格は、昭和9年に85銭であったものが、11年には90銭、12年には1円に値上げされた。この間大漁による缶詰製品の値下がりもあって、缶詰工場の経営は著しい苦境に陥った(『北千島の水産概要』)。
 買魚契約の方法には、一般の売買契約と仕込契約があり、一般の売買契約では、まず工場側と漁船側が協議して漁期間中の買魚価格を決め、工場側は漁船に対して3000円〜5000円の前渡金を渡すことになっていた。そして毎月3回精算することになるが、売買価格が前渡金を超過する場合、工場側は超過分を漁船側に支払い、漁期終了後の決済で漁船側の販売額が前渡金に達しない場合は、その不足額を漁船側が支払うという内容のものであった。
 また仕込契約では、工場側が、漁船の全漁獲物を担保に、漁期間中の一切の費用を貸付け、漁期終了後、漁獲物の販売代金によって貸付金や金利などを精算することになっていた(『北千島ニ於ケル水産業調査報告書』)。
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