通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第4節 戦間期の諸産業 7 大正・昭和前期函館陸上交通 4 市内交通網 市内バス |
市内バス P566−P568 函館の市内バスは、昭和18年11月1日、函館市が交通局を設けて電車事業を始めるまで、すべて民間資本で行われた。大正7年創業の旭自動車株式会社は、松風町18番地から湯川村湯尻まで、6417メートルの旅客乗合自動車の運行を始めた(日本始めての専用自動車道路を設定、定員6名のフォード幌型、3両、大門前午前7時から午後6時まで1時間毎に発車、1人片道25銭)が、昭和5年、路線を延長し、同年11月1日から若松町117番地(函館駅前)−湯川間6900メートルの延長運転を開始した。これによって列車接続の乗客は便利になった。昭和6年12月1日、旅客乗合自動車の函館駅構内乗り入れが許可され、実施された。これが、函館におけるバスの駅構内乗り入れの始まりである。 高木荘治(弁天町25番地、運送業)が昭和3年、乗合自動車運輸業の免許を受け、同年1月25日、函館駅前から中の橋経由根崎間の運輸を開始した。当初は駅前−中の橋経由−開発間で、1区5銭、フォード箱型12人乗り2台で始めた。8月湯の川寒坂終点まで、9月、根崎1番地先まで延長した。湯の川線、8270メートル。昭和4年、高砂町39番地先−大門前−掘川町−本町間2874メートルの第2路線が免許されたので、湯の川線の系統を、函館駅前−大門前−堀川町−五稜郭−柏木町−湯の川−戸倉−根崎の運転系統に変更、同時に函館駅、中の橋経由本町99番地先間4150メートルの運転系統も変更した。 昭和5年3月、高木荘治は、函館水電株式会社に、旅客乗合自動車運輸事業及び運送業を譲渡した。函館水電は傍系事業として、函館乗合自動車合資会社を設立、これを継承した。高木荘治は、のち、昭和6年、赤川乗合自動車会社(万年橋−赤川水源地間7200メートル)の定期乗合自動車を始めた。 函館乗合自動車合資会社は、昭和7年11月、北海道庁より、大型貸切旅客運送乗合自動車使用車2台の認定を受けている。昭和8年12月、バス路線の新設として次の5路線を出願した(鉄道大臣に申請)。 (1)若松町−湯の川村、字湯の尻間 (2)五稜郭駅前−大沼公園前 (3)函館駅前−万代町間 (4)本町−亀田村字谷地間 (5)若松町−谷地頭間 昭和10年5月、第1運転系統、函館駅前−中の橋経由を大門前経由に変更、第2系統、函館駅前から本町間の大門前経由を中の橋経由に変更認可された。函館駅前に、五稜郭駅前が基点に加わり、かつ五稜郭地区、亀田地区がエリアに拡大されている。 函館乗合自動車合資会社は、昭和13年7月、帝国電力株式会社に吸収されたが、この帝国電力は電車、バス事業を、昭和15年7月、大日本電力株式会社に譲渡(乗合自動車30両)した。大日本電力は、更に、同17年10月、軌道事業、旅客乗合自動車運送事業を道南電気株式会社に譲渡した。道南電気株式会社は、同年11月、道南電気軌道株式会社と名称変更した。同社は、昭和18年10月、函館市に買収された。 |
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