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第2章 20万都市への飛躍とその現実
第4節 戦間期の諸産業
6 倉庫業の変貌
4 貯炭場と石油タンク
石炭集散と貯炭場
貯油場
|
大正・昭和期は、産業資本の成立、発展の時期で、従って、大量の賃金労働者の出現と共に、機械とそれを動かす燃料、即ち、石炭と石油が消費された。倉庫もこれに応じ、冷蔵倉庫のような工場型地倉庫が出現する。倉庫の変容拡大はもう1つある。燃料として大量に使用される石炭及び石油の貯蔵倉庫である。
石炭集散と貯炭場 P544−P547
石炭は、通常、野積みされ、機械力で積付、積出しされる。小樽、室蘭、釧路各港は、石炭積出港として建設された。函館は、小樽、室蘭、釧路各港のような石炭の中継積出港ではない。そうでなく、函館自身で消費するのである。即ち、青函連絡船の船用炭(バンカー)及び国鉄機関車用燃料炭である。それだけではない。大正から昭和期に移って工場用炭、家庭用炭の需要も増大した。石油は、発動機船など小型漁船の燃料として重要であった。道内から函館に入った石炭は、大正10年までは海運で、それからのちは鉄道で入った。明治44年6万トンだったが、第1次世界大戦末期の大正8年13万トンに達している。鉄道による統計は、大正14年の14万トンから始まるが、昭和4年21万トンに達し、以来、増大し続け、13年には33万トンに達する(表2−108)。
函館市の統計である大正15年『函館港勢要覧』には、大正5年で3万9000トン、以下増大し、大正13年には21万7000トン、鉄道で入ったと記録されている(表2−109)。積出(つまり使途)は、大部分が函館市内消費用にあることを示している。船舶焚用と工場用、一般陸上用にわけられる。この統計では、国鉄向け石炭がとらえられていないようである。同書に貯炭の調査が記録されている(表2−110)。総坪数4566坪で、そのうち鉄道用地が1768坪を占める。賃貸料をとっているから民間用炭を国鉄が倉庫業者として保管していることになる。国鉄が倉庫業(野積)を営んだわけである。
表2−108 運送手段別着炭高
単位:トン
年次
|
道内海運
|
道内陸運
|
明治35
40
44
大正1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
昭和1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
|
32,222
59,271
60,233
77,680
80,090
70,992
69,468
34,208
15,782
84,868
132,662
88,841
11,197
903
2,727
1,506
1,141
599
1,554
942
−
−
−
−
29,072
10,040
14,592
3,420
53
438
629
5,157
|
記載なし
141,589
170,116
171,418
162,759
216,299
222,941
237,748
228,870
225,889
252,997
273,862
276,346
308,363
339,267
292,698
390,390
|
『函館市史』統計史料編より |
|
表2−109 石炭の集散調ベ
a.着炭高
単位:トン
年次
|
鉄道
|
船舶
|
計
|
大正4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
|
105
39,002
78,707
55,735
65,497
84,523
102,077
163,542
209,393
217,917
|
74,323
54,160
56,040
109,609
112,646
78,921
14,641
5,238
2,112
−
|
74,428
93,162
134,747
165,344
178,143
163,444
116,718
168,780
211,505
217,917
|
b.積出高
単位:トン
年次
|
荷物炭
|
船舶焚料
|
工場用
|
一般陸上
|
計
|
大正4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
|
2,456
2,916
8,891
6,743
5,129
10,347
5,657
4,496
4,981
2,564
|
64,533
79,401
108,739
108,823
104,343
105,627
61,081
76,722
77,539
76,836
|
11,420
13,624
32,804
41,020
50,699
39,070
47,143
77,054
109,424
111,710
|
2,536
3,002
6,116
6,083
6,502
6,766
9,516
16,324
18,379
27,031
|
80,945
98,943
156,550
162,669
166,673
161,810
123,397
174,596
210,323
218,141
|
大正15年『函館港勢要覧』より |
表2−110 大正15年の貯炭場
所在町名
|
貯炭設備
|
坪数
|
貯炭能力
|
土地所有
|
賃貸料(/坪)
|
真砂町
真砂町
真砂町
鶴岡町
鶴岡町
鶴岡町
若松町
若松町
若松町 |
地平*
高架
地平曳込線
地平
高架
地平曳込線
地平
高架
地平曳込線 |
2,278
357
447
300
175
120
100
120
200
469
|
トン
8,000
2,500
2,000
1,500
1,400
700
500
500
1,500
2,100
|
私有
鉄道用地
鉄道用地
私有地
鉄道用地
鉄道用地
私有地
私有地
鉄道用地
鉄道用地
|
円
0.245
0.300
0.200
0.350
0.300
0.200
0.420
0.190
0.300
0.200
|
合計
|
地平
高架・地平曳込線 |
2,798
1,768
|
10,500
10,400
|
|
|
総計
|
|
4,566
|
20,900
|
|
|
大正15年『函館港勢要覧』より
*運搬道路300坪付き |
昭和11年11月10日の「函館日日新聞」は、「空に吐く二百四十万円、函館で消費する石炭量」という大みだしで、函館商工会議所調査による北海道炭礦汽船函館出張所の販売先を報じている。年間20万トン、240万円である。最大は青函連絡船5万トンで、あとは函館船渠(3000トン)、五稜郭の火力電気(3000トン)、北日本製紙(2000トン)、各缶詰工場(1500トン)、函館製菓(500トン)、帝国製菓(500トン)である。
表2−111 昭和23年における貯炭場
名称
|
面積
|
収容カ
|
経営者
|
駅構内石炭第2岸壁
駅構内石炭第3岸壁
駅構内石炭第2、第3中間
駅構内石炭第4岸壁
有川石炭桟橋岸壁
有川埠頭新岸壁
駅構内日炭貯炭場
浅野町コークス土場 |
平米
1,200
900
1,300
300
1,300
300
2,450
16,848
|
トン
1,800
1,350
1,950
450
8,000
500
7,000
2,000
|
運輸省
運輸省
運輸省
運輸省
運輸省
運輸省
日本石炭会社
日本石炭会社 |
計
|
24,598
|
23,050
|
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和泉雄三「戦中戦後の函館港湾運送企業」(『地域史研究はこだて』第8号所収)より |
函館運輸事務所の鉄道用炭の量を直接示す資料はない。札鉄全体の量がわかるだけである。昭和10年、北海道の石炭発送は、内地移送426万トン余、外国輸出26万7000トン、内外船舶焚料99万トン、鉄道納炭44万トン、道内消費が230万トン、うち函館駅着14万1397トン(うち船積用29トン)である(札幌鉄道局『北海道の鉄道貨物事情』)。外に資料が無い。戦後の資料として、当時北海海運局函館支局に在勤した反保光三のまとめた「函館の港湾施設」(未公刊)がある。その一部が、和泉雄三「戦中戦後の函館港湾運送企業」(『地域史研究はこだて』第8号所収)におさめられている。これによると、貯炭場は表2−111の通り。面積、貯炭能力は、かなり増大していることがわかる。国鉄用地がますます圧倒的に増大している。 |