通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第4節 戦間期の諸産業 1 函館港(国鉄専用桟橋・埠頭を除く) 商港 |
商港 P508−P509
大正2年以降の激減は、それまで3港定期(青森、函館、室蘭)船を運航していた日本郵船の青函航路廃止(明治43年3月10日)、国鉄の誇る近代的機械化船比羅夫、田村丸(各1480トン)の就航、これを接岸する木造T型新桟橋を武器とする国鉄の青函航路独占の影響を見逃すわけには行かない。 大正3年7月に始まった第1次世界大戦は、一時的海運ブームを引き起したが、大正7年11月に終り、不況期に入る。大正8〜12年の激減がそれと無関係のはずがない。大正14年に一挙に280万トンを記録して、明治43年の211万トンをオーバーする。大正期は、「平調」ではなく、停滞期だったと総括できよう。 大正14年以降は、ほぼ年間300万トン台に落着き、昭和9年409万トンと過去最高を記録、12年の日中戦争開始以降の急増につなぐ。 大正12年6月24日の「函館新聞」は、「大戦後大正八年度は真に函館の黄金時代」と自画自讃したが、数字の上からみると、「真の黄金時代」は、大正13年から始まるというべきである。その「黄金時代」は、正に北洋漁業、樺太漁業の隆盛によってもたらされたものと思う。 |
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