通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第3節 函館要塞と津軽要塞 津軽要塞重砲兵連隊 |
津軽要塞重砲兵連隊 P291−P292 昭和15年2月、軍令陸乙第22号「昭和十五年軍備改編要領」により、札幌市に北部軍司令部が新設された。これにより、同16年4月1日、函館重砲兵連隊は北部軍の直轄部隊となったのである。さらに同年7月11日、昭和16年陸支機密第76号「要塞警急戦備下令ニ応ズル準備ニ関スル達」を受けて全国の重砲兵部隊が各地の要塞に派遣されることとなり、津軽要塞では7月15日、「津軽要塞警急戦備下令」に応ずる準備のため、要塞司令部に114名、重砲兵部隊に368名の要員がそれぞれ応召を受けて入隊し、以後は津軽要塞重砲兵連隊と称されるようになった。なお、連隊の編成が完結したのは8月27日であるが、これ以降、函館重砲兵連隊の諸業務と建物一切を継承した津軽要塞重砲兵連隊は、津軽要塞司令官の指揮に入った。昭和16年11月11日、津軽要塞の準戦備が命ぜられ、11月20日には、防空を強化して第1戦備の態勢に入った。 このようにして12月8日の太平洋戦争の開戦を迎えるのであるが、同日14時、津軽要塞重砲兵連隊の秋山得三連隊長は次のような命令を出し、「警急姿勢」に入った。その一部を次に引用しよう。 二、当連隊ハ空海監視ヲ厳ニシ来襲セル敵艦ヲ撃滅シ、津軽海峡拒止ノ任務ヲ完フシ砲台ノ自衛ニ任ゼントス
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