通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
|
第2章 20万都市への飛躍とその現実 和解条件と契約内容 |
和解条件と契約内容 P275−P276 和解の第1の条件は、帝国電力は一時金として「三〇万円を和解の効力発生と同時に」市に拠出することで、他に「成るべく速に夜間電力料金を現在料金より低廉にすること」「電柱税付加税は当分現在のまま」とし16燭光および24燭光を新設したときは、「従前通り本税一円に対し一円の課税率により賦課すること」などであった。和解金30万円は、19日に来函した石津龍輔専務から斎藤市長の手に渡された。函館市と帝国電力との間に締結された(報償)契約書の概要は次のとおりである。この契約の効力が発効した日から「一ヶ年に付金十万円を毎年九月一日及三月一日に各五万円宛」(第7条)納付すること。その金額は、契約の効力発生後「五ヶ年目毎に会社の本契約締結当時の事業区域内より生ずる利益金に対する百分の六」(同条2項)を基準として改定すること。また市は、有効期間中自ら「電車及び電灯電力供給事業」の経営はしない(第5条)。契約の有効期限が満了した時に、市が「電車及電灯電力供給」の営業並にこれに要する物件の全部を買収しようとした時は、会社はこれを拒むことはできない(10条)。その時の買収価格は、「会社の総株数に東京市内の株式取引所に於ける既往五ヶ年の平均相場を乗じ」(同上2項)たものとし、価格が一致しない時は「双方より協議委員各二人を選定しその多数の決する所に依る」(第11条)ことなどで、最後にこの契約の有効期間を「効力を発効した日より満三十ヵ年」(第12条)とした。 その後帝国電力は大日本電力(株)に合併、16年には配電統制令が公布されて全国の電気事業が9社の配電会社に統合された。北海道の電気事業も北海道配電(株)に統合され、18年大日本電気は解散となった。一方配電統制は運輸事業を除外したため、大日本電力が電気事業から切り離して継続していた函館の電車とバス事業は、子会社の道南電気軌道(株)が経営を引き継いでいたが、斉藤市長から禅譲的に市長の座を譲られた登坂良作市長(昭和9年11月1日から17年5月31日まで市会議長)の尽力により、18年11月1日、「譲渡引継書」が引き渡されて函館市交通局が誕生した。ここに函館市念願の交通事業の市営化が実現されたのである。 |
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ |