通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 買収交渉開始 |
買収交渉開始 P261−P263 報償契約が満期となる昭和6年に入り、坂本市長は「市百年の大計である」電気事業市営化のために、市会議員全員を臨時電気事業調査委員に任命し審議を重ねたが、買収価格および交渉の進め方を決定することができないでいた。契約期限も迫った8月1日の臨時電気事業調査委員会で、委員長の坂本市長は、「委員会は報償契約に基いて買収交渉せよ」という意志を認定すると宣言し、委員会を打切った(6年8月2日付「函日」)。この委員会の宣言を受けて、市会は、「函館市ハ大正三年一月十九日函館水電株式会社ト締結シタル契約ニ基キ同会社ノ電車電灯動力供給ノ営業及之ニ要スル物件ノ全部ヲ買収セムトス」という原案に、「市長は買収価格決定および仲裁人協定に入る前に市会に諮ることを望む」「仲裁協定に入る前とは仲裁価格を決定することを主とし、仲裁人選定にまでは及ばない。但し市長は人選前に適宜協議すること」のふたつの希望条件を付けて可決した。市会としても報償契約に基づく買収に本格的に取り組むこととなったのである。昭和6年9月3日、函館市は正式に函館水電に電気事業買収を申し込み、同時に市長は上京して買収交渉進行の円滑化と交渉終了まで報償金などの取り扱いは従来通りとすることを会社に申し出た。しかし会社からは何の連絡もないまま9月27日となり、大正3年の報償契約は期間満了となった。 市の催促を受け、函館水電は、11月18日、(1)大正3年の契約の法律上の効力の有無は取締役の研究に一任、(2)事業の売却は相当価格であれば取締役の仮契約締結が可能、(3)報償金の暫定措置は取締役に一任の3点を社の方針として決定し、相当の価格なら買収交渉に応ずる用意がある旨の回答と、「契約の精神を尊重し誠心誠意を以て妥当なる協議を遂げ公平の取引を為したい」との「覚書」を市へ送った。翌7年4月18日、函館水電側の買収交渉を一任された穴水専務と坂本市長との間で、第1回目の交渉が持たれたが具体的な進展はなかった。その後、水電側は藤原会長の引退をはじめ各取締役や監査役が辞任、役員は穴水専務と太刀川取締役のみとなり、在函重役は太刀川のみとなった。この時期の穴水専務は、北海道電灯(株)(大正10年に富士電気(株)を改称)の常務でもあった。同社は事業拡張のため買収合併を進め、道内の士別電気、北海道電気(東北海道の有力電気会社)、北海水力(名寄地方)、石狩電力をはじめ秋田、山形の電気会社も傘下に収めていた。 9月20日、電気事業買収交渉が再開されたがお互いの主張は一致しなかった。10月10日までに両者から申し出された価格は、函館市は1241万1719円57銭(会社事業および物件全部に対し)、函館水電側は2460万480円89銭(大正3年の報奨契約による計算価格と神戸市買収価格標準算出額、地方鉄道法に依る買収価格の平均価格)だった。また水電側は報償契約によっては売買を成立できないと言明、まず報償契約の効力の有無を問題とすることで意見の一致を見てそれぞれ弁護士を選任しその協議に入ったが、結局意見は対立したままだった。その後昭和8年2月まで7回にわたって協議が続けられたが、意見の一致をみないままこの協議は終わらざるえなかった。 |
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