通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


「函館市史」トップ(総目次)

第1章 露両漁業基地の幕開け
第4節 明治末期函館の教育界
3 教員養成

師範教育令

函館師範学校の設立

師範教育令   P205−P207

 明治20年代後半における学齢児就学の増大に伴って、在学児童や学級数の増加がみられ、正教員の不足が続くことになった。こうした事態に対処するために、師範学校の増設をはかり、正教員の供給を増やしていくことを目的に、明治30年に「師範教育令」が制定された。師範教育令による制度改正の主な点は、師範学校の種類を高等師範学校・女子高等師範学校および師範学校としたこと、尋常師範学校を道府県1校に制限していたそれまでの制度を改め、道府県に2校以上の師範学校が設置できるようにしたこと、女子高等師範学校の制度化により、師範学校女子部および高等女学校の教員の養成の拡張が可能となったこと、それまで師範学校令に規定されていた「順良信愛威重」の「気質」が、「徳性」と改められたことなどである。
 就学児童の増加に対応する教員の養成が行えるように、勅令「範学校生徒定員」は、学齢児童のうち3分の2の者が就学するものとし、それらの児童を70人の学級に編制するものとして学級の総数を計算し、さらに1人の教員が20年勤務するものとして、必要な教員の養成ができるように、師範学校の生徒定員を定めた(第1条)。この規定によって算定された生徒定員を収容できるように複数の師範学校を設置する府県が増え、師範学校の数は年々増加することとなった。また複数の師範学校の設置が可能となったのに伴って、独立の女子師範学校が増加していく。それは、文部省が、「二個以上ノ尋常師範学枚ヲ設置スル場合ニ於テ女生徒ノ員数一学校ヲ構成スルニ足ルヘシト認ムルトキハ男女ニ依リテ学枚ヲ別ニスルコト」と指導してきたことにもよる。この独立の女子師範学校の増加は、それまでの軍隊式の師範教育に異質の要素を加えるものであった。さらに道府県に複数の師範学校が設立されることによって、相互にその個性を競う状況も生まれた。
 師範教育令下での、師範学校に関する包括的規程として、「師範学校規程」が制定された。師範学校規程によって、本科は第1部と第2部に区分された。本科第1部は、修業年限を男女とも4年とし、その入学資格を予備科修了者もしくは修業年限3年の高等小学校卒業者とした。予備科というのは、2年課程の高等小学校卒業者を入学させて、本科第1部へ入学させるための1年間の教育を行うものである。本科第2部は、中学校および高等女学校の卒業者に、1年(中学校及び修業年限5年の高等女学校の卒業者)ないし2年(修業年限4年の高等女学校卒業者)の教育を行って、本科正教員の資格を得させるものである。これは同時に小学校正教員の不足を補充することをも意図するものであった。また中学校および高等女学校の卒業者を入学させる第2部の制度は、師範学枚を専門学校程度の学校に昇格させる方向への第一歩でもあった。
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ