通説編第4巻 第7編 市民生活の諸相(コラム)


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第3章 転換期をむかえて

コラム59

姿をかえる旧市街地、西部地区
地価の高騰と高層マンション建設問題

コラム59

姿をかえる旧市街地、西部地区  地価の高騰と高層マンション建設問題   P895−899


平成7年度「函館市観光ポスター」

解体された函館文化服装学院
 昭和63(1988)年4月、それまでの10年間にわたる市民活動の成果として「函館市西部地区歴史的景観条例」が制定された。教会や旧領事館などの伝統的建築物が建ち並び、「レトロ函館、歴史の街。」(平成6・7年度「函館市観光ポスター」)などの言葉で表現される西部地区は、函館山の夜景とともに観光客にもっとも人気が高い地区となっているが、この条例により地区の景観が法的にも保全されることとなった(コラム63参照)。
 このような条例化の背景には、同地区の歴史的環境に対する住民自信による評価とともに、観光地としての外からの評価の高まりがあった。函館市を訪れる観光客の年間入込み数をみると、昭和58年度まで250万人前後で推移していたが、翌年度以降は上昇傾向をたどり、平成3(1991)年度には史上初めて500万人を突破している(『新函館市観光基本計画』)。
 そして、これら内外の評価の高まりと同時に、もたらされた特徴的な事柄が、地価の高騰と高層マンションの建設問題であった。
 昭和63年3月、歴史的景観条例の制定直前に、条例施行後には保存されることが期待されていた洋館・函館文化服装学院(大正10年建築、木造2階建)の廃校、解体、そして跡地への高層マンションの建設計画が表面化した。市による所有者との交渉や市民による署名活動も及ばず、5月16日にこの建物は解体される。そして、その後同じように2棟の歴史的な建造物の駆け込み解体と、条例施行後に予定されていた高さ基準をこえる4棟の高層マンションの駆け込み建設も容認された(元町倶楽部「函館の歴史的環境の現在」『地域史研究はこだて』第15号、以下の記述も断りのない限り同書による)。
 これらの高層マンションが次々とその全容を現し始めたのは平成元年に入ってからだが、その頃には条例によって一定の制限が加えられた指定地域の周辺部を中心に、さらに10数棟もの高層マンションの建設計画があることが明らかになっていた。
 これを知った市民や地域住民の憤りは、平成2年に入って各建設計画に対する周辺住民の反対運動という形で現れた。同年3月に谷地頭町で反対住民団体が結成されたのを皮切りに、以降次々と反対運動団体が結成された。また、既存の団体も反対姿勢を表明し、4月にはそれらの連合組織「函館西部地区の高層建築を考える会」も結成され、市に対する陳情活動や署名活動が活発に展開されるようになる。
 平成2年5月31日の夜、函館西部地区の高層建築を考える会主催による「市長と共に西部地区の景観を語る市民集会」が青柳小学校で開催され、約300人の市民が参加して市長に地域の現状を訴え、対策を求めた。この集会を契機に西部地区における高層マンション建設問題は大きな社会問題として認識されるようになる。
 翌6月1日に開会された第3回市議会臨時会は、まさにマンション議会の様相を呈し、5日には「元町3番のマンション建設に反対し建築確認申請の取り下げを求める決議」が満場一致で可決された。
 その後この元町3番の建設計画は、事業者と市長との直接交渉によって凍結されることになるが、これを引き金として、他の高層マンション建設計画をめぐる建設側と反対運動団体側との攻防は一層激しいものとなり、市もその対応を迫られることになる。
 高層マンションのあいつぐ建設とともに地価も上昇し、昭和63年に1平方メートルあたり約6万円だった元町24番の地価公示価格は、平成3年には16万3000円にまで高騰した(図参照)。
 ひとことで「高層マンション建設問題」と表現されたが、そこには、(1)西部地区の歴史的景観や函館のシンボルである函館山の市街地からの眺望景観の変貌、(2)外部資本などによる用地買収を原因とする地価の高騰、(3)借地・借家が多いための住み慣れた土地を追われる住民たちの増加、(4)マンション建設は投機ブームに乗ったリゾート的な色彩が強く、長い時間のなかで培われてきた地域コミュニティーの分断・破壊といった問題が複合的に絡みあっていた。
 市は、これらの問題のすべてに対応できないものの一連の市民や地域住民の要望に応えるかたちで、(1)事前公開制度や市のあっせん・調停を盛り込んだ「函館市中高層建築物の建築に関する指導要綱」の制定(平成2年6月15日公示、7月15日施行)、(2)函館市建築基準条例の一部改正による「建築協定」ができる旨の条項の付加(7月20日施行)、(3)国土利用計画法に基づく「監視区域」制度の導入(8月1日北海道指定)、(4)歴史的景観地域における「景観形成基準」の一部改正による景観保全策の強化(12月1日公示、12月14日施行)、(5)函館市西部地区歴史的景観条例の一部改正による景観保全策の強化(12月20日施行)、(6)函館山山麓地域における建築物の高さを13メートル以下とする都市計画法に基づく「高度地区」の指定(平成3年6月28日施行)、(7)高度地区以外の函館山山麓地域に同様の制限を課す「函館市函館山山麓地域における建築物の高さに係る指導要綱」の制定(7月10日施行)と、およそ1年間という短期間のうちに多様な対応策を講じている。
 このような対応は、それまでの行政のあり方からするときわめて異例の早さであった。それだけ市民や地域住民のこの問題を解決することへの期待が大きなものであったと同時に、行政としても法体系上の制約はあるものの可能な限りの対応が意図されたためだった。

建設された高層マンション
 平成3年以降、一転して地価は下落傾向を示し(図参照)、マンション建設も急速に下火になった。それは「バブル経済」がはじけるとともに投機対象としての不動産の価値が低下して、いわゆる「東京マネー」が撤退したためともいわれた。
 しかし、嵐のように吹き荒れ、そして去っていったこの社会事象は、函館の歴史的環境に深い爪跡を残した。西部地区にはマンション建設やホテル建設が目的とされながら空地となった敷地のいくつかがそのまま放置され、斜陽化する地域を際立たせることになった(コラム62参照)。(山本真也)
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