通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第3節 函館の産業経済の変貌
1 北洋母船式サケ・マス漁業の変容と終焉

ブルガーニン・ラインの設定と日ソ漁業条約

昭和31年出漁の函館の独航船

日ソ漁業条約成立後のサケ・マス漁業

母船基地函館の盛況

200カイリ問題による打撃

母船式サケ・マス漁業の終焉

母船基地函館の盛況   P377−P379

表2−4 北洋物資調達状況(昭和33年度)
              単位:千円
品名
総額
函館分
漁網漁具
船具機械
燃料
ワラ工品
竹材
木材

魚箱
カルトンケース
空カン
主食
副食
嗜好品
調味料
ゴム製品
衣料品
医薬品
日用雑貨
その他
2,023,041
136,772
775,794
5,168
3,627
26,562
58,322
43,831
82,560
2,211,132
64,086
98,780
75,540
11,264
16,666
33,422
12,887
6,999
114,938
1,191,681
45,497
145,441
4,504
3,512
19,827
27,711
32,153
49,126
1,262,272
13,624
48,040
35,902
6,205
9,432
20,752
8,634
3,941
99,142
合計
5,801,391
3,027,396
昭和34年6月3日付け「道新」より作成
 北洋漁業の再開は、戦前の規模には及ばないとはいえ、関連産業の業績の伸長など、函館にとっては、大きな経済効果をもたらした(第1章第3節参照)。函館商工会議所の調べでは、函館市から調達されたいわゆる仕込物資は、昭和27年度の6000万円に始まり、28年度3億1000万円、29年度8億円、30年度22億3000万円、昭和31年度27億3000万円と年をおうごとに増加していった。もっとも仕込み全体に占める割合をみると29年度は8割近くを占めていたのに、31年は3割にまで落ちている(昭和30年1月27日付け、32年4月14日付け「道新」)。
 昭和33年度の調達状況の内容を表2−4に掲げたが、漁網が更新期にあたっていたため、大きな金額になっていることがわかる。函館は総額の5割程度を占めており、日魯漁業(母船)が全物資を函館で仕入れ、他社は空缶、燃料などを除き京阪神地区の根拠地で仕入れているという。これらのほか、乗組員1万5000人余が市内の歓楽街、温泉街などでざっと1億円は落としているだろうとみられていた(昭和34年6月3日付け「道新」)。
 また、毎年出漁時期になると、弁天町など西部地区の雑貨店が独航船相手の売り込みに忙しくなり、一般家庭へのご用聞きはいっさいストップするというような状況で(昭和40年4月23日付け「道新」)、なかには1日で年間の1割、約2000万円を売り上げるという食料品店もあった(昭和63年6月2日付け「毎日」)。
 日ソ漁業条約締結によって北洋漁業の先行きが懸念され、業界は北洋一辺倒からの脱却をはかりはじめるが、それでも30年代、40年代は影響力が大きく、金額だけをみると函館からの仕込物資は、昭和49年の約70億円とピークをむかえた(図2−20)。

独航船乗組員の出漁前のひととき(昭和46年、俵谷次男撮影)
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