通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第6節 戦後の宗教・文化事情
1 戦後函館の宗教界

GHQの宗教政策と函館

北海道宗教界の概況

函館の戦後と神社

函館の仏教寺院

戦後における函館のキリスト教

新興宗教の隆盛

北海道宗教界の概況   P273−P275

 昭和22年版『北海道年鑑』の「宗教」の項では、当該期の宗教事情を大略、次のように伝えている。
 まず神道については、(1)宗教団体としての神道が布教活動をするまでには至っていない。(2)国家から分離された神道の打撃は多大であるが、「宗教としてよりも崇敬」の面で、農漁村で信徒を獲得している。(3)従前の氏子制に代わり、崇敬講として祭礼に参加することが多いが、以前の官幣大社や護国神社の打撃は甚大で、まだ立ち直っていない。(4)金光教、御嶽教などは時代の波にのって活動は活発であるし、天理教も同志的結合を固めて啓蒙発展期に入ったと報じている。
 仏教については、「従来のゆきがかり的教派独立に東奔西走して仏教界が一致し何らかの事業を画し、社会奉仕と日本再建の捨石となるべき気運が少しも起こらない」と手厳しく分析している。さらに、分派的な行動をとる仏教界は「地盤の保持に汲々とし、宗教家本来の使命である布教と頽廃せる社会道徳の喚起、戦災引揚の救援に何らの積極的手をさしのべていない」と仏教界の現状を憂慮する。
 その一方で、キリスト教については、「布教の自由をえ教会を通じての布教はもちろん、いちはやく教育機関の再建など着々としてその成果をあげている」と高く評価している。具体的事業として、プロテスタントの教育機関、旧教派の慈善事業・病院経営などは、敗戦1年を経ずに完全に復旧したと伝え、函館のキリスト教大学設置の動きにも注目している。
 昭和22年版『北海道年鑑』が報告する道内の宗教界の概要は以上であるが、その1年後になると、事情は少し変わってくる。その様子を同じく昭和24年版『北海道年鑑』によって、うかがってみよう。
 北海道における宗教界の概況として、「宗団法(宗教団体法)の廃止と神社の国家からの分離にともなう宗教界の大波は23年度に入って漸くおさまり、各宗派はそれぞれの方向を見出し、着々と発展の地固めに懸命である。」と伝える。そのうえで、「熱狂的にむかえられたキリスト教は本来の求道者の強い集りとなったために数的には減った」と、一定の頭打ち状況を指摘している。一方、自己保存の本能にもえているかの感の強い仏教も、積極的な信徒獲得に動き出したと、先年までとは違う動きに注目している。総じて23年に入り、「宗団法の廃止にともなう新宗派分派の乱立」も終息したと報じている。
 昭和23年10月に札幌で「仏基宗教討論会」が開かれ、「宗教と生活」をめぐり意見交換されたという。また、キリスト教界としては、函館市郊外桔梗村に設立予定の日本初の「キリスト教農学校」のことが世間の脚光を浴びていると伝える。これについては後述する。
 仏教界でもひとつの変化があった。従来の「北海道仏教連合会」が昭和23年7月の総会で発展的に解消し、各宗派教務所単位で活動することになり、新「北海道仏教連合会」が発足した。
 戦後復興2年目にして、キリスト教と仏教界には多少の変化がみえはじめたが、神道界はどうであろうか。「宗団としての布教は相変わらず低調を極めているという」ものの、財政面ではここでも変化が顕著になってきている。すなわち、旧護国神社系統以外の神社では、国家と神道の分離や神社地の没収にもかかわらず、「日常の祈祷・厄除けはインフレの影響か非常に活気を呈している。祭典は農漁村の活気とともに復活し信仰とは別に昔ながらのその時期の生活に即応した定期的な憩いの日として人々に親しまれている」と伝える。神社の布教は低調であるが、祭典として復活したのである。
 以上、敗戦直後における北海道全体の宗教界の概況をみてきた。それでは函館のその実際の姿はどうであったろうか。
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