通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第3章 戦時体制下の函館
第5節 戦時下の諸相
3  強制連行と捕虜問題

1 函館在住の朝鮮人

大正末期の在函朝鮮人

昭和初期の朝鮮人

昭和初期の朝鮮人   P1241−P1242

表3−37 函館市・渡島支庁の外国人
(昭和5年)
市町村
外地人
函館市
549
185
734
大島村
小島村
福山町
大沢村
吉岡村
福島村
知内村
木古内村
茂別村
上磯町
大野村
七飯村
亀田村
湯川村
銭亀沢村
尻岸内村
椴法華村
尾札部村
臼尻村
鹿部村
砂原村
森町
八雲町
長万部村
1
6
2
22
5
30
2
3
39
7
2
1
2
1
5
10
20
9
39
19
3
7
55
8


2
3

1
1
1
4
3

1
1


5
1
2
13
6

7
2
4
1
6
4
25
5
31
3
4
43
10
2
2
3
1
5
15
21
11
52
25
3
14
57
12
渡島支庁
298
57
355
全道
12,238
3,347
15,585
『国勢調査報告』北海道(昭和5年)より作成。
 これらの植民地人は、その後どのような推移を示すのであろうか。表3−37は、昭和5年の第3回国勢調査の結果を、函館市と渡島支庁を中心に示したものである。全道の外地人は1万5585人であるが、その99.8%にあたる1万5560人が朝鮮人であった。この表では「外地人」と表現されているが、その意味するところは、さきの「植民地人」と同義であり、朝鮮人がほとんどであった。函館市の外地人は734人、渡島支庁の外地人は355人となっているが、この中の亀田村(3人)、湯川村(1人)、銭亀沢村(5人)は、現在函館市に合まれている。したがって、現在の函館市に相当する地域には、743人の外地人、すなわち朝鮮人が居住していたことになる。
 このことに関連して、昭和6年11月12日付けの 「函館毎日新聞」には、函館署調査による同年10月末現在の朝鮮人数として、男女計407名という数字が報じられている。その主な職業別内訳は、日雇い86人、船員16人、漁夫29人、土工夫46人、飲食店29人となっており、この他に「刑務所に行つてゐる」者が16人いたという。また、同7年11月21日付けの同紙には、「無理解と迫害に虐げられる同胞/函館の鮮人四百五十名その生活をみる」という見出しで次のような記事が掲載されている。

(前略)函館市における彼等の其日々々は、これをお役人式に統計(但何十何人といふ定規で計つたものではない)から見ると労働者其他を合して約四百五十名内外、そして、彼等も又一つの組合?或は団体式の労働者団体を有してゐる。市内千歳町十二、相親会々貞は百五十名位、会長は具然泰、然し万事は書記の美大告君が切り廻してゐる。此外にも新川町二七四に自省会といふのがあるが、会長の廷一、日本名豊田秀寛君は東都の某大学に在学中とか、とまれ彼等はよく働く。その一例として市内のある土工部屋の頭は、左の如く記者に語つた。鮮人は全くよく働きます。例の水道の太い鉄管等も、日本人だと六人、彼等ならたつた四人です。それに不平を言はないと云ふ点です。(後略)

 この記事によれば、函館市内には労働者を中心に450人内外の朝鮮人が居住し、相親会(千歳町、会員150人)と自省会(新川町)という2つの団体を組織しているのである。
 昭和初期の在函朝鮮人に関しては、この他に「朝鮮から渡道する鮮人労働者の群、その数は函館で働く日雇ひだけでも一千名以上」(昭和7年11月12日付「函毎」)、「現在市内に在住する七百人の朝鮮人」(昭和11年6月11日付「函毎」)、「函館市内に居住する鮮人は約七百人で、この内三百五十人の女は大部分売笑婦」(昭和13年1月8日付「函新」)といった報道がなされており、昭和5年から10年代初頭にかけては、約700人程度の朝鮮人が居たと思われる。そして、前記の2つの団体とどのような関係にあるのかは不明であるが、昭和11年10月中旬には、会員300余人の新興会という朝鮮人団体が独力で新興会館を高盛町に建設し、職業紹介や授産、簡易宿泊所等の社会事業を行うことを計画している(昭和11年10月29日付「函毎」)。
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