通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第9節 労働運動の興隆と衰退
4 労働争議と無産政党の結成

函館交通争議の始まり

政治的高揚と無産政党の結成

函館第1回メーデー

労農党函館支部の結成

労働争議の拡がりと第2次水電争議

水電買収問題

漁業労働者問題

警察の介入

警察の介入   P1087−P1090

 前述したような労働者の結集や争議の拡がりなどにより、警察の治安対策は取り分け厳しくなっていた。函館では、些細なことで一市民が検束を受けたことから、昭和2年10月9日労農党函館支部事務所で「官憲糾弾の演説会」が開催された。警察はこの集会に解散を命じただけでなく主催者以外に一般市民をも検束したため労農党員および市民が警察に押し寄せたところ、警官が抜刀しさらに逮捕者が出た。当時、同様の事件は各地で起きているが、函館の一件は警察が強圧的態度を示した典型的な事件である。10月14日には、七福座にて労農党支部主催の警官抜剣事件真相発表演説会が開かれ「言論集会結社の自由」が訴えられている(「無産者新聞」第106号)。
 水電の買収問題、警察の抜剣事件などが続く中で、労農党函館支部が課題としたことは、市民の間に燻る不満を組織することであった。その辺の事情を「無産者新聞」(第108号、113号)は次のように伝えている。「函館市ではこの問題(抜剣事件)で市民の憤激が高まってゐる一方電車賃値上反対、舗装道路改善要求、家賃値下等の小市民の要求があり、これらを中心に二十日には大門前巴座で市民大会が開かれた。舗装工事にしろ電車賃値上反対にしろ、闘争は地主資本家の手先になってる市当局に対する闘争、市政革新の闘争へと発展する」「これらの小市民の闘争はすみやかに発展させられて政治的自由の闘争へと融け合はされねばならぬ」と。そして11月11日には巴座において市民有志主催による「舗装促進市民大会」が開催されたが、労農党員および社会民衆党員が壇上に駆け上がり、大会は紛糾した。散会後、板垣武男、鶴本徳太郎ら両党の党員らを中心に演説会を開催し、市政革新問題を中心に市費による軌道舗装反対、電車賃値上反対、電灯料値下げ運動などに取り組むことを決議した。さらに11月13日には労農党と社会民衆党両函館支部主催の市民大会を巴座で開催し、聴衆約千人を集め、大会終了後、デモ行進を行った(「無産者新聞」第113号)。
 当時、北海道における労農党の勢力(昭和2年10月31日現在)は、「函館支部一〇〇、札幌支部五〇、旭川支部五〇、釧路支部五〇、小樽支部八〇、室蘭支部五一、空知支部八〇、後志山麓支部六〇、雨竜地方支部五〇、根室支部五〇の合計六二一名」となっており、函館支部は道内最大の勢力を有していた(「労働農民新聞」第24号)。
 さらに、昭和2年12月、日本共産党函館地方細胞組織準備会が武内清の指導の下に、鈴木治亮、村上由、斉藤金市らによって組織され、翌昭和3年1月には函館水電・国鉄・造船木工・鉄工所・ドックに組織が作られた(『前衛』昭和48年4月号)。
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