通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業
1 函館の経済界

2 塩鮭鱒流通の発展と函館

鮭鱒市場の再編

塩鮭鱒の内地向け出荷

塩鮭鱒流通の新たな動き

大量供給される露領産塩鱒

台湾移出

塩鱒の中国輸出

塩鱒の輸出と日魯漁業

塩鱒の輸出取引方法

日貨排斥による影響

集散市場としての函館の後退

旧来勢力の後退と新規覇者の台頭

塩鮭鱒流通の新たな動き   P323−P324

 塩鮭鱒の需要・販路は、東京およびその周辺地域を除くと量的に消化力のある地域は東北地方に限られ、販路の制約性や狭小性の課題が重くのしかかっていた。また、販路拡張や需要拡大も、都市部における消費購買力の脆弱性、内陸市場、特に農村市場の未成熟、流通・物流網の未整備とそれによる広域流通の制約、増加する生鮮水産物との競合などの制約要因から必ずしも順調な進捗を見ていなかった。
 そうしたなかで塩鮭鱒の流通・消費をめぐる新たな動きや条件形成が認められるようになるのは大正年代の後半頃からである。その背景には都市部における中産階級の形成や勤労者層の集積、それによる消費購買力の増進と惣菜需要の拡大が指摘される。当該商材は切身形態で惣菜用食材として消費されていたが、そのなかで塩鮭と塩鱒における消費の階層性も現出していた。さらに塩鮭においては後の新巻鮭の流通促進とも相まって歳暮用の贈答品としての需要も増加していった。なお、東京地区が白鮭を主体とした鮭消費圏となっていく素地はこの時期に造られたと言えよう。第2は、全国各地における塩干魚専門の魚市場や問屋の形成・発展とそれによる塩鮭鱒の広域流通の進捗であった。特に全国の大都市地域には、東京の日本橋四日市組魚市場をはじめとして拠点的な塩干魚市場の形成が進められていった。さらに大正期は米騒動を契機として食料品流通への社会政策的な関心が昂揚した時期であり、それに伴う中央卸売市場法の制定(大正12年)や公設小売市場の整備などに代表される都市部を中心とした食料品流通機構の改善や整備が推進されていった。第3に新巻鮭や冷凍鮭などによる新製品の開発とその消費宣伝・流通促進である。日魯漁業は塩鮭鱒の国内流通への参入を強力に推進していくが、その一環として前記新製品の市場投入が図られている。特に新巻鮭は大正15年に日魯の専売品として試売されたものであり、東京を中心に消費獲得に成功している。また、これら製品の投入とも関わった日魯漁業による流通チャンネルの組織化や物流ネットワークの構築も塩鮭鱒の販路・需要拡大の重要な要素となっていった。第4にこれらの要因と塩鮭鱒における流通・消費の全国拡散の進行である。従来まで当該需要の少なかった関西方面でも京阪を中心とした塩鱒の販路拡張により需要の上向きが見られた。
 こうしたなかで内地市場における需要・流通などの条件が整備されていったのであり、塩鮭鱒は西日本方面などでの販路拡張などにより日本初の全国流通商材としての対応を強めていったのである。
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