通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実
第2節 水電事業市営化問題
1 佐藤市長と水電問題

函館水電株式会社の創立

報償契約の締結

函館水電の合併問題

買収交渉への取り組み

仮契約締結と反対運動

市長買収案の終結

報償契約の締結   P252−P253

 この頃、都市ガスも北海道に登場する。電灯よりも先に登場した実用ガス灯だったが、地方への普及が遅れ、北海道にガス会社=北海道瓦斯(株)(本店東京瓦斯(株)内、以下北海道瓦斯と略す)が出来るのは明治44年だった。函館には翌大正元年9月に営業所が字村内(現函館市万代町)に開設し、10月7日供給が開始された。北海道瓦斯は、事業展開を進める上で最初から大阪瓦斯(株)(29年創立)が大阪市と結んでいた(『新修大阪市史』6)「報償契約」の締結を念頭に仕事を進め、創業と同時に3区(函館・札幌・小樽)との報償契約締結交渉を進めた。「報償契約」とは、「事業者が一定の報償金を自治体に納付することによって、行政区域内における独占的経営権を自治体に保障してもらい、同時に、道路や橋梁の無料使用を認めてもらうもの」(『北海道瓦斯五十五年史』)で、大阪瓦斯が締結したのが我が国最初であり、その後各地にガス事業が創設されると同様の契約を締結したという。
 大正2年11月には北海道瓦斯と函館区との交渉がまとまり、翌3年1月の区会には、「電柱税条例の廃止」(第8号議案)、「北海道瓦斯株式会社との報償契約契約締結」(第10号議案)と同時に、「函館水電株式会社との報償契約締結」(第20号議案)も提案され議決した。歳出の膨張に苦慮する区と独占的営業権による安定経営を求める会社との利害が一致したのである。報償契約締結により区に納付される報償金は、大正2年12月分から純益金に対し、北海道瓦斯4パーセント、函館水電は、電灯電力4パーセント・電車3パーセント(電車部門は大正3年11月分までは免除)と決定した。この年の決算額は両社で5589円(歳入予算額は北海道瓦斯1424円・函館水電が4531円)、以後増額を続け、大正10年には2万97円となっている。増額の内訳は、北海道瓦斯はほぼ同額で推移し、函館水電が伸びて行った結果だった。
 函館水電との報償契約は、「第一条 区は其所有又は管理に属する営造物及工作物に対し会社の電車電灯及電気動力(以下単に動力と称す)供給営業上必要なる電線路施設及軌道敷設を承諾す」から始まる14か条からなっている。区に対しての条件は、ほかに一般の区税以外に第1条の使用に関して料金もしくは特別税を賦課徴収しないこと(第4条)、契約期間内に自ら電車電灯および動力供給事業を経営しないこと(第5条)、新たな該営業者に対しては第1条の承諾を与へないこと(同条2項)など、また函館水電へは、「報償金」として、大正3年上半期より各決算期に「電車営業の純益金に対して百分の三」「電灯及動力供給営業の純益金に対して百分の四」の金額を区に納付すること(第7条)をはじめ、「電車電灯及動力料金」の値上げは区の同意を得ること(第3条)、公共の用に供する「電灯及動力料金」に対しては普通料金の2割減とすること(第7条)などであった。契約の有効期間は、「大正二十年九月二十七日」まで(第12条)で、有効期間満了の際に、区が「電車電灯動力供給」の営業およびこれに要する物件の全部を買収しようとするときは、会社はこれを拒否できない(第10条)とし、その時の買収価格の算定方法(総株数の既往5か年間の平均相場を乗じる)を明記している。ほかに「本契約の効力及履行並に前条買収価格等」について区と会社の意見が一致しないときは、双方より「協議委員各二名を選定」し、その多数の決定による(第11条)ことなども記されている。
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