通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


「函館市史」トップ(総目次)

第2章 20万都市への飛躍とその現実
第2節 水電事業市営化問題
1 佐藤市長と水電問題

函館水電株式会社の創立

報償契約の締結

函館水電の合併問題

買収交渉への取り組み

仮契約締結と反対運動

市長買収案の終結

函館水電の合併問題   P253−P255

 報償契約を結んで10年後の大正13(1924)年11月22日、函館水電は、札幌水力電気(株)とともに戸井電気(株)に合併し解散するという仮契約書を取り交わし、その旨を函館市(函館区は大正11年函館市となる)に伝えた。戸井電気(株)は函館水電からの配電で電灯事業を経営する小さな電灯会社で、この年9月に函館水電の傘下に入っていた。計画ではこれを一挙に1900万円に増資(当時函館水電の資本金650万円、札幌水力電気(株)は500万円)するというのである。会社側の説明では、今後の電力の需要増に対応するための合併であり、大正3年に函館市と結んだ報償契約については合併後も尊重厳守するとのことだった。
 この合併に対し、函館市内の世論は反対する流れへ高揚していった。12月15日、水電合併反対連盟が結成された。反対連盟は、市や市民の了解なしに合併を協定するのは「市の有する既得権に損害を与へ、市将来の買収を困難ならしむる行為と認め」、合併阻止のため全力を挙げて反対行動を開始することを決議し(12月16日付「函新」)、翌14年1月14日、全市に「市の盛衰消長に重大の関係を有する合併問題」と遺する合併反対檄文を配布した。
 市としても早急な対応を迫られ、着任(大正13年12月5日)早々の佐藤新市長は、初仕事としてこの問題に取り組むこととなった。まず市会議員協議会を開催して11人の調査委員からなる調査委員会(委員長恩賀徳之助)を開設、同委員会は、市の既得権を侵害する合併に異議ありとして会社側にその旨を通告することを決した。20日、佐藤市長と恩賀委員長は、岡本忠蔵、山本源太、斎藤又右衛門、二木彦七、小熊幸一郎、渡辺熊四郎の在函水電重役と会見、合併決議を1月30日まで延期すること、その後の交渉で報償契約改訂を協議することの2点が了解され、合併は延期された。この間、市会議員協議会主催の講演会や有志大会、町民大会などが連日開催され合併反対が叫ばれた。函館商業会議所も、「合併は水電重役の声明する電力の補給を実現し且つ市との報償契約を適当に改訂するに非らざれば当市将来の経済界に不利を来すものと認む」(大正14年1月30日付「函毎」)との反対決議を可決した。
 合併が延期されたため、市と函館水電の交渉は報償契約改訂案を軸に始まったが、妥協点を見いだすことが出来ず、元区長北守政直、同渋谷金次郎、渡辺孝平(2代目)の3人が仲介の労を執り、2月14日、函館市長佐藤孝三郎と函館水電株式会社取締役会長藤山雷太の連名で次の「覚書」(「電気問題」『函館市史資料集第二集』)がまとめられ、函館水電の合併は中止になった。

一、函館水電株式会社は札幌水力電気株式会社と共に戸井電気株式会社に合併する事を中止すること
二、函館市長は函館水電株式会社に対する報償契約条項改訂の交渉を中止すること
三、函館市長と函館水電株式会社は会社営業の売買交渉を開始すること

 水電合併反対連盟も24日に臨時総会を開催、今後の問題として電気事業買収を進める際、連盟は「全市の輿論を喚起して公開外交の目的を達成」することを決議した。
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ