通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実
第1節 市制の開始
3 湯川町の合併と市城の拡大

大字亀田村の市街化

湯の川温泉街の発達と上水道問題

温泉郷の問題

合併条件の提示

函館市と湯川町の合併

大字亀田村の市街化   P242−P243

 函館はもともと陸繋島函館山の山裾で成長した都市で、戸数・人口の膨張が進むと繋部の北東へ市街地を広げていかざるをえない地理的環境にあった。明治32年の自治区制実施の際、函館の要請を取り入れた形で、繋部の北東に位置した亀田村の半分ほど234万7000坪(『函館市史』統計史料編)が函館区に組み入れられ、函館区大字亀田村となった。
表2−8 昭和5年の大字亀田村の戸数および人口
字名
戸数
人口
字名
戸数
人口
村内
万年橋
村内川東
札幌通
有川通
鍛冶村通
八幡社後手
田家
1,057
30
10
360
206
49
285
85
5,166
173
60
360
1,795
234
1,386
1,010
陣屋通
五稜郭通
六軒家
柏野
湯川ノ通
十文字
千代ヶ岱
54
248
4
263
1,360
3
3,446
7,460
270
1,287
20
1,352
6,587
17
15,864
35,581
「昭和5年国勢調査概要」により作成
 自治制実施の際、この大字亀田村の幹線ともいえる道路に、函館区の東川町と湯の川温泉を結ぶ馬車鉄道の軌道車が走っていたが、大正2年に電車となると、この幹線の沿線は住宅地としてさらに発展していった。昭和5年には戸数7460戸、人口3万5581人となっていた。各字の戸数および人口内訳は表2−8の通りで、もともとの亀田村の中心地であった村内付近を除くと、電車が通る幹線道路沿いで人口が膨張していったわけである。そこで函館市は、この東部地区と呼ばれた地域に新しい町名を付して町名区域の改正を実施することとした。町名地番整理委員会が設けられ、昭和5年10月4日の市会で町名地番区域の改正が議決された。函館新聞はこの改正を「史実に因む新名称」と紹介している。この時大字亀田村という呼称も廃止された。亀田村以来の字は表2−9のような新町名に整理されていったのである。ちなみにこの改正が北海道庁から告示されたのは翌6年の9月13日(第1013号)であった。
 このように東部地区の市街化が進む中、昭和9年の函館大火後の復興で、東部方面から湯川にかけての地域に居を移す市民がさらに増加し、湯川との合併が具体性を持つようになって行き、10年8月に当作小一郎主事ほか5名の主事および技師が合併調査幹事に任命され、合併に向けての調査が開始された。
表2−9 大字亀田村に誕生の新町名
新町名
旧字名
万代町 村内、札幌通、八幡社後手、万年橋、万年橋脇、有川通
松川町 村内、(含む海岸町、大縄町)
宮前町 村内
吉川町 前浜、万年橋、万年橋脇、有川通、ゴミ川、札幌通
北浜町 有川通、ゴミ川、札幌通
追分町 札幌通
亀田町 村内、札幌通、八幡社後手
八幡町 村内、田家、八幡社後手
白鳥町 村内、田家、八幡社後手
大川町 大川通、八幡社後手
田家町 田家、大川通、八幡社後手
掘川町 柏野、千代ヶ岱
的場町 柏野、千代ヶ岱、湯川通
中島町 千代ヶ岱、陣屋通、湯川通
千代ヶ岱町 湯川通、千代ヶ岱
人見町 湯川通、柏野
乃木町 柏野
梁川町 陣屋通、五稜郭通、鍛冶村通、湯川通、村内川東
本町 千代ヶ岱、湯川通、五稜郭通、鍛冶村通
杉並町 湯川通
松蔭町 湯川通、柏野
柏木町 柏野
五稜郭町 六軒家、村内川東、十文字、鍛冶村通、五稜郭通
柳町 十文字
川原町 柏野
昭和6年9月13日北海道庁告示第1013号および「字名改正調書」より作成
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