通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実
第1節 市制の開始
3 湯川町の合併と市城の拡大

大字亀田村の市街化

湯の川温泉街の発達と上水道問題

温泉郷の問題

合併条件の提示

函館市と湯川町の合併

合併条件の提示   P247−P248

 合併調査開始以来紆余曲折を経て、昭和13年8月に入って湯川町から合併条件が提示された。さきの促進事項2点のほか、湯川小学校の移転改築、租税賦課を現在のままで5年間増額しないこと、道路の改修舗装、湯川町農会を函館市農会とすることなど17項目が提示された。市側の合併委員会での協議の結果、5項目を合併条件、10項目を希望条件とすることと決定した。
 その後、湯川側と交渉の結果全てを希望条件とすることで一致し、10月5日、函館市会には建議案の形式で上程され、湯川町会には諮問案の形式で上程され、両会とも満場異議なく決定したのである。いよいよ本格的合併工作に入ることとなった。最終的な合併希望条件は23項目で、さきに提示された合併条件がほぼ希望条件の骨格で、「各事項は函館市においてこれを容認し市の発展と財政の許す範囲において可及的速に実現努力すること」という一文が付されていた。
 なお、函館市会での建議案上程理由は次の通りであった(昭和13年10月6日付「函日」)。

 輓近東部方面の伸長著しく郊外に居を占むる者一層多きを加へ隣接湯川町は殆ど市と利害休戚を一にするの実情にあり之を同一の機関の下に統括し共存共栄の実績を挙ぐるは刻下焦眉の急務なり、而も同町は市の都市計画区域に属し交通至便にして総て本市を中心に経済的機構を営み人情風俗は勿論実生活に於ても何等異なる処なき現象なるに行政区域を分ち諸般の施設を為すは得策ならず、殊に早晩人家隣接するの趨勢に鑑み渾然一体となり相互に連絡統一ある施設を為し温泉地として将来観光地として諸設備を完成するは彼我の利益なりと認むるに因る

 その後、合併に関する上申書が双方から道庁に提出され、合併への手続きも順調に進み、昭和14年3月6日付けで合併に関する道庁諮問(函館市境界変更及び変更に伴う湯の川町有財産処分)が発せられ、函館市会は8日同諮問に対して異議なき旨の答申を満場一致で可決した。ところが湯川町会は時期尚早論者が大勢を占め紛糾した。5年間税金は現状維持とする希望条件が容れられず、漸増とすることで決着を見たため、1銭でも増税は認められないという空気が広がり、合併を時期尚早とする意見が大勢となったのである。
 このため道庁の地方課長が来町、町会議員を説得する場面も出現した。今日の機会を失しては将来到底合併は不可能と現実論を説いたわけである。翌10日、湯川町では拡大委員会が開催され、続いて町会が道庁の諮問を異議なく可決した(3月11日付「函新」)。
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