通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第3節 露領漁業基地の展開
2 日露漁業協約の成立

漁業協約交渉

協約の内容

漁業関係者の陳情

漁業協約交渉   P154−P156

 日露戦争終結後、両国の漁業関係は一変した。すなわち、明治38年9月に調印された日露講和条約には「露西亜ハ日本海、オコック海、及ベーリング海ニ瀕スル露西亜国領地ノ沿岸ニ於ケル漁業権ヲ日本国臣民ニ許与セムカ為日本国ト協定ヲナスヘキコトヲ約ス」(第11条)と規定され、露領漁業における日本人漁業者の不安定な地位が、講和条約に基づく国家権益として保障されることになった。
 この講和条約の取り決めにより明治39年8月から日露漁業協約の締結交渉が始まり、翌40年7月に調印を終え、9月に批准書の交換を経て施行されることになった。
 漁業協約は本文(14か条)、付属議定書(14か条)、および漁業協約に関する宣言書の3つの文書から成り、これらの協約文書には、漁業権行使の場所、漁業の目的物、漁業権の取得方法、諸公課、輸出水産物の免税、漁夫の国籍制限の撤廃、漁猟の方法、魚類および水産物製造方法、自由往来の権利、漁区外の製魚事業などの事項が定められている。
 協約交渉における最大の争点は、協約の適用水域(日本側の漁業権行使区域)と漁業の目的物に魚類以外の水産動物(ラッコ、オットセイなど)を加えるか否かの問題であった。
 日露講和条約の条文には、「日本海、オコック海、及ベーリング海ニ瀕スル露国沿岸ニ於ケル漁業権ヲ日本国臣民ニ許与セムカ為日本国ト協定ヲナスベキコトヲ約ス」として、ロシア極東沿岸全域に日本人の漁業権を認めることが記載されていた。しかし講和会議の議事録には、日本側に認める漁業権は「独リ海洋ニ瀕スル沿岸ニノミ及ヒ入江及河川ニ及ハス」とあり、河川、入江は条約の適用水域から除かれることが合意されていた。だが入江についての明確な定義を欠いており、このことが漁業協約の交渉過程で表面化し、入江の解釈を巡って双方が対立した。
 日本側の案では、「露西亜帝国政府ハ本協約ノ規定ニ依リ日本海、オコック海及ベーリング海ニ属スル露西亜領水ニシテ土民ノ為留保シアル河川及入江ヲ除クノ外総テ露西亜国臣民ニ漁業ヲ営ムコトヲ許ス場所ニ於テ一切ノ魚類及水産物ヲ捕獲及採捕スルノ権利ヲ日本国臣民ニ許与ス」(第1条)として、協約の適用水域を、原住民の生存、食料確保に必要とされる入江と河川を除いた総ての海面とし、漁業の目的物を海産哺乳動物を含むあらゆる海産動植物とすることを主張した。
 これに対してロシア側は、「露西亜帝国政府ハ本協約ノ規定ニ依リ河川、入江ヲ除キ日本海、オコック海、ベーリング海ニ瀕スル露西亜国沿岸ニ於テ魚類、無脊椎動物及水藻類ヲ捕獲及製造スルノ権利ヲ日本国臣民ニ許与ス前記河川及入江ハ本協約ノ規定ヨリ之ヲ除外ス」(第1条)として、日本人には、入江と河川を除く海面に漁業権を認め、漁業の目的物として海産哺乳動物(ラッコ、オットセイなど)以外の水産動植物に限って認めることとした。
 日本側は、入江を原住民食料確保と生存に必要な海面を除いて、それ以外の海面に日本人の漁業権を認めることを主張したわけだが、ロシア側案によれば、屈曲した海岸線の多い沿岸部では、大部分の海面が適用範囲から除外され、日本人漁業者に与えられる漁業権が全く有名無実になることを危惧したのである。
 交渉は入江の解釈を巡って行き詰まり、特別委員会で検討を重ねた結果、適用範囲から除外される入江を付属議定書に記載し、未測量の地域では、湾入部分の奥行きが湾口の3倍以上のものを入江として除くことにした。このほか、海湾4か所が軍事上の理由で除外された。河川は協約の適用範囲から全面的に外された。ただし、7か所の河川が日本船舶の停泊地として認められることになった。
 また漁業の目的物については、日本側の譲歩で海産哺乳動物(ラッコ、オットセイなど)が除外された。
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