通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第3節 露領漁業基地の展開
1 日露漁業協約成立前の露領漁業

ロシア政府の対応

カムチャツカへの進出

買魚の実態

買魚の実態   P152−P154

 次に買魚を巡る日本人とロシア人漁場主、原住民との関係が述べられている。
 当時カムチャツカ漁業には、ロシア人が自国漁夫を雇って行う海面漁業(商業的漁業)と、原住民の食料自給を目的とした河川漁業(生業的漁業)があり、河川漁業は原住民のみが従事してロシア人は禁止されていた。日本人が漁獲物を買い付ける場合、海面漁業はもちろん、原住民から河川の漁獲物を買う場合も総てロシア人を仲介して買い取っていた。
 日本人出漁者が買魚免状で操業する場合、漁場主となるロシア人は、まずハバロフスクに赴きプリアムール総督の許可を受ける。この後、ペトロパブロフスクのカムチャツカ州長官に対し、漁場名、日本人の使用する帆船数、船名、噸数などを記載した調書に、プリアムール総督の許可書を添えて出願し、各種税金を納入した後、漁場免状、貿易免状、買魚免状の交付を受けた。日本人出漁者は、ロシア人漁場主から届けられた免許状を受けとり、派遣された漁場主の代理人の下で繰業を始めた。
 買魚契約の内容をみると、日本側が鮭1尾に付き2銭5厘ないし3銭、鱒1尾に付き1銭ないし1銭5厘を支払い、ほかに、ロシア人漁夫の給料と食料費、漁業免状料その他税金、ならびに運動諸経費(ウラジオストクのロシア人との契約、漁場免状取得までの諸経費)を負担した。いうまでもなく、帆船の費用、乗組員賃金、漁網、塩、その他漁業・加工用資材などの諸経費一切は日本側が負担したのである。
 原住民の漁獲物を買い付ける場合、一旦ロシア人が原住民から買い取り、日本人はそれをロシア人から買うことになる(日本人の直接購入は禁止されている)。代金は、まず原住民に鮭1尾に付き2銭、鱒1尾に付き1銭を支払い、仲介するロシア人にも同額の代金を支払った。またロシア人漁場主が州当局に納めた免状料、税金その他諸経費は日本側が負担した。
 このように買魚といっても、それは表向きのことであり実際は、日本人が、ロシア人漁場主の名義を借り、漁獲量に応じた漁場代を支払い、漁獲、加工の一切を行っていたことになる。つまり、買魚は、外国人(日本人)漁業を禁止したロシア当局の規制を逃れるための便法に過ぎなかったのである。
 日露戦争以前における両国の漁業関係を要約すると、ロシア極東沿岸における漁業は、ほとんど日本人漁業者によって開発されたこと。この間ロシア人漁業は日本人漁業者の進出に刺激されて一定程度発展を遂げたが、日本人漁業者の大量進出に危機感を持った極東のロシア当局は、自国民への漁区の優先貸与、日本人に対する課税強化、日本人漁夫の雇用制限、そして、最後は日本人漁業の禁止などの法令を制定して日本人漁業の進出を抑えようとしたこと。しかし日本人漁業者はロシア側の様々の圧迫に対して、買魚、あるいはロシア人名義の共同経営などの便法を講じて操業を続けてきたのであって、日露戦争直前のロシア極東沿岸における両国の漁業関係は、対立と打算に基づく妥協が交錯する極めて変則的な状況におかれていたのである。

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