通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第3節 露領漁業基地の展開
1 日露漁業協約成立前の露領漁業

ロシア政府の対応

カムチャツカへの進出

買魚の実態

ロシア政府の対応   P149−P150

 『函館市史』通説編第2巻第9章で述べたが、日本の漁業者の沿海州方面への出漁は明治18年頃に始まった。当初日本人に対するロシア当局の対応は、自国民より多額の税を課していたものの、ロシア人と同様漁場の貸与を認めていた。ところが、多数の日本漁船がアムール河流域に進出するようになり、危機感を深めた極東のロシア当局は、漁場を自国民に優先的に貸与し、かつ日本人漁夫の雇用を制限し、さらに日本人の漁業を禁止して、日本人漁業者の進出を抑えようとした。
 こうしたロシア当局の対応について、沿海州を視察した上田外務省嘱託は、報告のなかで次のように述べ、ロシア当局の規制に一定の理解を示し、出漁者に自重を求めている(上田外務省嘱託「沿海州」明治38年)。

露国政府カ近年沿海州近海ニ於ケル外国臣民(日本人)ノ漁業ヲ制限スルノ精神ハ地方民保護ノ為メ紅魚ノ保護ヲ為シ以テ国庫ノ利益ヲ計ル為メニシテ就中土人保護ハ其重ナル口実トス……沿海州北部ニ於ケル殖民ハ漁業ニ頼ルヲ要シ北部地方ニハ農業行ハレザルヲ以テ漁業ハ地方殖民唯一ノ業務タリ故ニ我日本出稼漁業者カ漁具、漁夫、食塩、其他日用生活品一切ヲ日本ヨリ携帯シ露領海ニ来リ僅カニ税金ノミヲ納メテ他国ノ天産ヲ其侭日本ニ輸スヲ以テ露国官民中ニハ之ヲ以テ国家経済上不利益之ヨリ甚シキハナシトシ為メニ我出稼漁業ヲ排斥スルモノ多ク其他日本人ニ漁業ヲ許可セハ濫獲ノ結果魚類ノ繁殖ヲ妨クルモノナリトシテ我漁業ヲ排斥シ又紅魚ハ地方土人唯一ノ食料ナルヲ以テ土人保護ノ点ヨリ我漁業ヲ否認シ又日本ノ製魚ハ天産ヲ精製シ之ニ労力ヲ加ヘ天産ノ品位ヲ高ムル所謂経済ノ原則ニ適フコトアラスシテ天産ヲ粗悪ニシ限リアル天産ヲ以テ濫リニ其数ニ依リテ以テ利益ヲ得ント欲スルモノナルヲ以テ日本人ニ天産ヲ開発セシメハ害アリテ利ナシトシ我漁業ヲ非難スルモノアルコトハ少シク意ヲ留ムルノ必要アリト信ス

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