通説編第4巻 第7編 市民生活の諸相(コラム) |
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第2章 復興から成長へ コラム27 市営谷地頭温泉の開業 |
コラム27 市営谷地頭温泉の開業 根強い市民の人気 P733−P737 函館市水道局には、温泉事業課という温泉供給を担当している部署がある。全国的にも名前を知られている湯川温泉と谷地頭温泉の2系統があって、谷地頭では、温泉供給のほかに公衆浴場の経営がおこなわれている。このところのブームもあって、市町村による温泉経営は各地でみられるが、市営谷地頭温泉の開業は昭和28(1953)年にまでさかのぼる。今となってみると谷地頭温泉はこのようなブームの先駆けとも思われるが、どのような経緯で開業に至ったのだろうか。そもそも函館市が温泉事業に関わるようになったのは、昭和14年に湯川町を合併したことによる。この合併で湯川町が持っていた湯川温泉事業を引き継いだのであった。
とはいっても何のあてもなく谷地頭が選ばれたわけではなく、ここはすでに明治時代から温泉地として開発されていたところであった。勝田温泉や浅田屋に柳川亭などという料理屋も繁盛し、遊興地として当時の市民に親しまれていたという歴史がある(函館市史編さん室編『函館むかし百話』)。 函館市が土地を探していた頃、相馬報恩会が所有する旧浅田屋の敷地(谷地頭町25番地)が売りに出た。昭和24年8月に、この一画1700坪の買収が市議会で決議され、いよいよ本格的に温泉試掘へとむかうのである。 この当時谷地頭町で営業していた温泉は池の端温泉と勝田温泉であった。営業していたとはいえ、温度は40度前後と低く、それもいわゆる赤湯であり、前者はこれを沸かして使ったが、後者にいたっては釜がいたむので水道水を沸かしていたという状態であった。 その一方で同町内の住民、石塚弥太郎と山内伝作が温泉掘削の話を水道局に持ちかけてくるということもあり、早晩誰かが掘削しないではおかなかっただろうと吉谷は回顧している。 昭和24年におこなわれた1回目の掘削は不首尾に終わったが(第1号井)、25年に石塚弥太郎から寄付されていた谷地頭町17番地の100坪の区画を掘ったところ、昭和26年2月24日、64度の温水が吹き上げた(第2号井)。関係者のなかでも一番喜んだのは吉谷自身ではなかっただろうか。「吉谷水道部長が早速湯船に飛び込み、一風呂浴びて、見物に訪れた市民に温泉の構想を語った」という内容の記事が新聞に掲載されている(昭和26年2月26日付け「函館」)。 この温泉を市民に利用してもらうためにはどうするのが最善か、民間に負けずに市営でやれるものは何かと考えた末にいきついたのが、公衆浴場の経営であった。 浴場の建設は昭和27年に着手され、全館完成をまたずに、1階の半分ができた翌28年2月16日に開業となった(残りの工事がすべて終わったのは昭和30年)。開業前の13日から15日までは、市民に無料で開放されたが、新聞では押し掛けた入浴客で30坪の浴室も満員となり幸先のよい滑り出しだったと報道されている(昭和28年2月14日付け「道新」)。また同紙には「入る人もわれわれのお風呂という気持で汚したくないね」という市民の好意的な声も紹介されている。 市内の公衆浴場と同じ料金で温泉に入れるというので、開業後は予想以上の利用で湯量がまにあわず、昭和28年月に第3号井を掘り当て、その後41年までに7井(4号から10号)が掘られた(函館市水道局『函館市水道百年史』)。
しかし開業9年目を迎える昭和36年には経営難の様相を呈してきた。この年は利用者が前年より落ち込んでいて、低料金を維持したまま人件費はかさむ一方だったことから、赤字は必至とみられた。民間への移管という声もあったが、「年間約六千人の遺族、北洋船員、お年寄りなどに無料」という公共施設ならではのサービスを惜しむ声もあり、慎重な検討が求められた(昭和36年10月26日付け「道新」)。 もっとも民間側も経営も厳しく、当初から市営浴場の開設による経営の圧迫が懸念され、池の端温泉と勝田温泉には「分湯」で補償をしていたが、なかには廃業に追い込まれた銭湯もあったほどである(昭和34年2月15日付け「道新」)。 この谷地頭温泉問題は市議会で諮られたが、民間への払い下げは不採択となり、市営温泉は何とか生き延びることができたのである(昭和37年8月14日付け「道新」)。谷地頭温泉に対する市民の愛着が後押ししたのだろう。 その後も施設の老朽化に対応して改装・新装工事がおこなわれ、温水ボイラーの新設、専用駐車場の新設など市民のニーズに応える努力が続けられた(前掲『函館市水道百年史』)。 なお平成10(1998)年には、「新谷地頭温泉」として、リニューアル・オープンした。 毎朝温泉に入って、それから1日が始まるという市民も少なくない。「低料金で温泉を」という方針が変わらない限り、谷地頭温泉は市民の支持を受け続けるであろう。(長谷部一弘)
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