通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ 函館市教育委員会の成立 |
函館市教育委員会の成立 P265−P266
28年に採択された教育行政方針は、発足期の教育委員会制度にふさわしく「教育行政の自主性確立」を掲げ、「人事管理の適正化」のほか、多くの課題を抱えたこの時期の行・財政の充実を意図する「教育予算の増強」「校舎等建物及び施設の整備」、この時期に強調され始めた道徳教育にかかわる「道徳教育の強化と市民性の涵養」、戦後新教育の見直しの動きを反映する「教育内容の改善と指導管理の合理化」、社会教育の充実を意図する「成人教育の充実と婦人青少年の指導の組織化」、「保健思想の涵養と体力の向上」などが掲げられた。これらの方針は、昭和29年、30年にも引き継がれている。 公選制教育委員会の功績としては、昭和31年、任命制への移行の際に、「北海道新聞」がおこなった評価が参考になる(昭和31年9月4日付け)。それによると、教育予算の確保、校舎建築の進捗、二部授業解消の努力、全市一体の小・中学校の教育目標の設定、視聴覚教育の促進、全市ハイキング大会の開始などが挙げられていた。それらのなかには、全国的な評価に値するものもあるとされていた。短期間ながら、国民全体に直接責任を負う、教育委員会の民主的な行政の成果として十分なものを残したものといえよう。
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