通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第5節 教育制度の改革と戦後教育の諸問題
3 講和後の教育

函館市教育委員会の成立

義務教育の諸問題

函館市教育委員会の成立   P265−P266

表1−52 教育委員の選挙結果
氏名
所属
得票数
任期
山上笹市 無所属
13,120
4年
大滝卯一郎 無所属
9,315
花光春之助 無所属
8,108
2年
橋本清次郎 社会党
6,449
西田乙五郎 無所属
6,023
 
清重源江 無所属
3,102
 
大和庄祐 共産党
695
 
昭和27年10月7日付け「函新」より作成
青字が当選者
 昭和23(1948)年公布の教育委員会法によって、北海道教育委員会では委員の公選が始まったが、函館市では遅れて27年11月に、公選制の函館市教育委員会が発足した。教育委員の選挙は27年10月5日におこなわれ、7名の立候補者のうち4名の当選者が決まり(表1−52参照)、10月18日市議会選出の1名を加えて、5名からなる委員会がスタートすることとなった。このような公選制教育委員会は、昭和31年に任命制教育委員会制度が発足するまで、4年間、困難のなかで、多大な成果を残していくことになる。
 28年に採択された教育行政方針は、発足期の教育委員会制度にふさわしく「教育行政の自主性確立」を掲げ、「人事管理の適正化」のほか、多くの課題を抱えたこの時期の行・財政の充実を意図する「教育予算の増強」「校舎等建物及び施設の整備」、この時期に強調され始めた道徳教育にかかわる「道徳教育の強化と市民性の涵養」、戦後新教育の見直しの動きを反映する「教育内容の改善と指導管理の合理化」、社会教育の充実を意図する「成人教育の充実と婦人青少年の指導の組織化」、「保健思想の涵養と体力の向上」などが掲げられた。これらの方針は、昭和29年、30年にも引き継がれている。
 公選制教育委員会の功績としては、昭和31年、任命制への移行の際に、「北海道新聞」がおこなった評価が参考になる(昭和31年9月4日付け)。それによると、教育予算の確保、校舎建築の進捗、二部授業解消の努力、全市一体の小・中学校の教育目標の設定、視聴覚教育の促進、全市ハイキング大会の開始などが挙げられていた。それらのなかには、全国的な評価に値するものもあるとされていた。短期間ながら、国民全体に直接責任を負う、教育委員会の民主的な行政の成果として十分なものを残したものといえよう。

市役所庁舎に掲げられた「北海道教育委員会委員選挙」の横断幕
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