通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第5節 躍進する北洋漁業と基地の発展

1 ロシア革命と露領漁業

混乱期の漁区競売

自治的出漁=自衛出漁

自治的出漁=自衛出漁   P576−P580

 この間、ロシア極東情勢は益々混乱して、露領出漁が危ぶまれるようになり、日本政府は、同年11月「過激派又ハ之カ類似ノモノノ跋扈専横極度ニ達シ日露漁業協約ニ依リ我獲得セル露領沿岸ノ漁業権ハ往々之カ為侵害ヲ被ルニ至レリ然ルニ浦潮政府ハ何等防止ノ手段ヲ執ラサルヲ以テ帝国政府ハ将来露国ニ正当政府樹立シ満足ナル保護ヲ我出漁者ニ与エ得ルニ至ル迄機宜ノ処置トシテ」次の5項目の実行をロシア側に要求することを決定した。(1)ロシア側に納入する借区料及び保証金を日口両国が指定する特定銀行に預託し漁季終了後にロシア側に交付すること。(2)漁区競売の最低価格を公表すること。(3)航海証明書等はロシア領事のみでなく日本官憲も発給しうること。(4)各漁場間の共同回航及び漁場に越年者の残留を認めること。(5)河川漁業を日本人にも許可すること(大正9年11月30日 閣議決定「露領沿岸の漁業権擁護に関する件」『日本外交文書』大正11年)。
 日本側がパルチザンの漁場焼き打ちや略奪、その他の漁業権侵害に抗議したのに対し、ロシア側は、日本軍の占領と駐留、労農ソビエト政府の承認問題などに関連させ、日本側の要求を受け入れなかった。
 日口双方の主張が対立する中で、大正10年3月10日、露領水産組合は、組合会を開きその対応について協議した。組合会はこの年の漁区の入札に参加しないことを決め、さらに外務・農商務両大臣宛に、漁業権益確保のため、日本政府が漁区の入札を行い、漁業者の自治的出漁を容認し、出漁の安全確保のため海軍艦艇の出動を要請する請願書の提出を決議した。請願書は次のように述べている。

 最近露領沿海州並ニ堪察加州ノ政情不安定ニシテ漁業経営上甚シク不安ナルノ実況ニ鑑ミ自衛上已ムヲ得ス今回開会致候組合会ニ於テ本年三月露国当局カ施行スヘキ前記方面漁区貸下入札ニハ一同参加セサルコトニ決議致候処右不参加ハ畢竟営業ノ不安ナルニ基因致スモノニ有之候得共当業者ハ是カ為ニ各自営業ヲ休止スルコト能ハス候ニ付テハ営業保護ノ御趣旨ニ於テ今年ニ限リ我政府カ露国政府ニ代リ日露両国人ニ対シ本年発表相成候露領沿岸漁区ノ貸下入札ヲ急速御施行相成様特ニ御詮議相仰度請願仕候
追而若シ前記請願御詮議相叶ハサル節ニハ当組合員ハ営業ノ自衛上止ムヲ得ス我政府ノ充分ナル御保護ノ下ニ自由出漁ヲ致スコトト相成ルヘキ儀ト被存候ニ付テハ右ノ場合ニ於テハ左記ノ個条御聴許相成度請願仕候
 左記
一、本邦漁業者ノ経営スル漁場方面ニ前年ニ比シ時季ヲ早メ且一層頻繁ニ軍艦ノ巡航其他十分ナル御保護ヲ仰キ度キコト
二、右ノ要点ニ基キ次ノ通リノ時期ニ帝国軍艦ノ巡航ヲ請願ス
   沿海州方面              四月上旬
   西堪察加(イ)ボリシェレック以南 五月下旬
          (ロ)同       以北 六月中旬
   東堪察加                六月下旬
   オホツク方面             六月上旬
三、営業スル漁場ニ対シ政府ヨリ相当借区料ノ上納ヲ命セラルル場合ニハ其金額ヲ最モ低減セラレ度事
四、出漁ニ要スル航海証明書、其ノ他ノ証明書ハ我官憲ニ於テ発給セラレ度事
五、漁場行外国旅券ニハ在留露国領事ノ査証ヲ要セサル事
六、塩陸揚証明及原産地証明ハ内地我官憲若クハ当組合ニ於テ為ス事(以下略)
       (「露領漁区貸下入札ヲ日本政府ニ於テ施行方請願ノ件」露領水産組合『日本外交文書』大正11年)

 そして露領水産組合は同年4月12日、自由出漁の手続として、次のような申合事項を作成して外務当局に提出した(「大正十年露領出漁手続」『日本外交文書』大正11年)。
一、出漁者は組合より出漁証明書の交付を受けること
二、出漁証明書の交付を受けた者は漁区番号、名称、位置、出漁予定月日、帆、汽船名、トン数、出港名、船員数を組合に届け出ること
三、本年出漁できる漁区は、イ借区期間中の漁区、ロ大正九年満期の漁区
四、漁区経営者は漁区借区料その他公課金を組合に納入すること
五、徴収した借区料その他公課金は朝鮮銀行又は北海道拓殖銀行に預託する
 露領水産組合がいう自治的出漁とは、本来ロシア側に納入すべき借区料その他公課を、事前に同組合を通じて銀行に供託し、ロシア当局の許可を受けることなく、日本海軍艦船の護衛の下に、ロシア側の制約を排除して出漁しようというものであり、「自衛出漁」ともいわれていた。
 このような請願を受けた政府は、「本年度漁業季切迫ノ折柄露国政権者トノ交渉妥結ノ日ヲ俟ツテ許サザル事情アルヲ以テ帝国政府トシテハ不得已機宜ノ便法トシテ(一)本年借区期間中ノ漁区(二)大正九年満期ノ漁区ニ対シ我当業者ガ本年度漁業ノ経営ニ当ルコト」を容認した(4月1日閣議決定、前出『日本外交文書』)。
 大正11年も、日本政府は、ウラジオストクの臨時政権と事態の打開を図ったが成功せず、再び自治的出漁の実行を認めた(4月15日閣議決定)。閣議決定では、自治的出漁を認めた理由を次のように述べている。

本年度本邦人ノ出漁ハ「メ」政権ト妥商ノ上之ヲ経営セシムヘキ方針ヲ執リ努メテ交譲妥協ノ精神ニ基キ数次ニ亙リ…相当ノ条件ヲ定メ在浦潮総領事ヲシテ至急解決方努力セシメタルモ露国側ハ何等特典ト認メ得サル事項ニ付テモ之ヲ特典ナリトシ之カ付与ノ条件トシテ精査ノ上ニ非サレハ決定シ難キ未納借区料ノ支払ヲ要求シ来レル等果シテ誠意ヲ以テ我方ト応酬スルノ意思アリヤ否ヤヲ疑ハシムルモノアリ遂ニ我方トノ交渉懸案ヲ無視シテ本邦漁業者カ競売参加ノ為浦潮ニ出向スルノ余日ナキヲ知リツツ四月四日競売ヲ断行スルニ至レリ本邦当業者カ右競売ニ参加セサリシハ言フ迄モナキ結果ナル処事態斯ノ如キ以上帝国政府トシテハ既得権擁護ノ趣旨ニ基ヅキ不得止機宜ノ措置トシテ左記方針(略)ノ下ニ本邦人ノ本年度出漁ヲ容認スルコトト致度シ


三等巡洋艦「新高」(日本軍艦史』海人社)
 この閣議決定を受けた海軍省は、「露領沿岸出漁者保護取締方針」(4月28日)を定め、「若シ露国漁業監視船ニシテ本警告ヲ無視シ本邦漁業船若ハ漁業者ニ対シ妨害ヲ加ヘ又ハ損害若ハ危害ヲ加エタルコトヲ認定シ得ル場合ニハ帝国艦船ハ適当ト認ムル措置ヲ講ズベシ」(5月4日)として、必要に応じて、海軍艦船がロシア漁業監視船に対して警告、臨検、武装解除などの処置を執ることを指示した(前出『日本外交文書』)。こうして沿海州方面には戦艦「三笠」、カムチャツカ方面には「新高」、「石見」、特務艦「関東」などの艦艇が派遣された。
 このようにロシア極東の混乱した情勢の下で、2年間「自衛出漁」が続けられたが、この間日本の露領漁業は、飛躍的な生産拡大を遂げ、大正11年には、未曽有の豊漁で、鮭鱒総計9900万尾、ほかに蟹729万尾を漁獲して、その生産額は3100余万円に達した(表2−115)。
 大正11年11月には、革命動乱の過程でパイカル湖以東に緩衝国家として樹立された極東共和国がソビエト社会主義共和国連邦に統合され、極東が名実ともにソ連の権力下に統合された。
 このため、日本側は、大正12年度は自衛出漁を中止して、ウラジオストクのソ連代表部と暫定協定を結んで出漁することになった。そして、この暫定協定による出漁は大正15年まで続けられた。
表2−115 自営出漁期間中の生産実績
年次
経営漁区数
漁獲高
塩魚製造高
缶詰製造高
総生産額

大正9
10
11

246
224
264
千尾
80,377
86,038
99,043
千美
66,493
76,095
87,938

534,490
739,391
709,554
千円
27,530
28,360
31,284
各年『函館市史』統計史料編より作成。総生産額は「露領漁業関係統計」昭和6年より作成。
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