通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第4節 明治末期函館の教育界
2 中等教育

中学校の増設

庁立函館中学校の移転

志願・卒業後の動向

庁立函館中学校の移転   P203−P204


函館中学校時任校舎(『函中百年史』)
 明治28年に、札幌尋常中学校とともに設置された函館尋常中学校は、同32年の「中学校令」の改正に伴って、同年4月以降「函館中学校」と改称され、さらにその後同34年には、「北海道庁立函館中学校」と称されることとなった。
 庁立函館中学枚は、その校地、校舎などが、「中学校令施行規則」に規定された条件を満たし得ず、その不備が痛感されるようになり、同34年5月には、学校長から道庁長官あてに、校舎の移転改築の件が稟申されることとなる。翌年設置された校舎改築調査委員会の答申を受けて、道庁は36年度の追加予算として、議案を同35年第2回通常会に提出した。道会は、移転について、位置が教育上不適当、敷地が狭隘、文部省の設備規則により現校舎は不合格である、などを理由に、移転を可決した。移転改築に要する費用は、現在地および建物の売却によって充足するというものである(北海道函館中部高等学校『函中百年史』、『北海道議会史』第1巻)。
 36年には、移転先が、複数の候補地のうちから「函館区大字亀田村湯ノ川通」に決定され、次いで、元町の現在地などの売却についての内務省の許可指令および学校の位置変更認可の文部省告示がなされ、移転改築が本格的に動きだした。ところが、現在地の売却のおくれなどの理由により工事が遅れ、校舎建築が竣工して引き渡しが完了するのは、同38年暮れのことであった。
 こうして、明治39年1月1日付の道庁告示第8号により、「函館区大字亀田村湯ノ川通」への移転の告示がなされるに至った(前掲『函中百年史』)。
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