通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第8節 宗教と文化の諸相
1 現代函館の宗教界

神社と寺院の動向

キリスト教の動向

函館の新宗教の展開

天理教と金光教の動向

函館の教育大学学生にみられる宗教意識

神社と寺院の動向   P563−P569

 昭和30(1955)年に入ると、小中学校の社会科教科では「天皇制」の学習が必修化され、それとあわせて愛国心の高揚が教育現場に求められ、世はあげて復古調を基調とするに至った(昭和30年1月21日付け「道新」)。この天皇制の顕在化を象徴するかのように、この年の5月開催の大相撲夏場所において、昭和12年以来、18年ぶりに天皇陛下の″天覧″があった。5月25日付けの「北海道新聞」はその様子を「自ら星取表に記入」し、「約五十貫の大起の立上りにニッコリ」されたと見出しで報じている。
 昭和30年以後の日本は、この復古調の波に乗って、いよいよ高度経済成長期に突入する。この時期は、物質追求が中心になり、物の豊かさが各階層に求められていった。この物質中心とあわせて、この時期は徐々に少子化傾向となり、「核家族」化が進んだことも見逃せない。この核家族化の社会現象は、必然的に農村や漁村の第1次産業の生産基盤を揺るがすことにもなり、ひいては「家」意識にまで影響をおよぼしかねない重大な事態であった。
 こんな時代環境のなか、神社はどう経済成長期の世を過ごしたのであろうか。この時期の神社の宗教機能も、第一に、祭礼執行をとおした地内の娯楽・遊興の提供、第二に地内の安全と生業の隆盛に求められていたことは、基本的には変わらない。かといって、その内実においても、すべて前代の戦後10年代と同一かとなれば、決してそうではない。たとえば、前者の祭礼がかもし出す娯楽・遊興性は、テレビの普及や少子化による子どもたちの遊びの変化も手伝い、年とともに低下していった。祭礼自体が著しく簡素化していったことは、そうした社会現象の変化と因果するものであった。

函館八幡宮の初詣風景(大和俊行撮影)
 後者の地内の安全・生業祈願においても、少子化と核家族化の波を受け、「七五三」などの祝事は、各家庭に広く浸透・普及していくなど、その内実において変化が認められるようになった。また、車社会の到来により、市内の自家用車の台数は年々、右肩あがりに増加していった。この車社会の到来は、神社にとって「交通安全」祈願とその護符の発売という新たなる祈祷対象を得たことになる。高度経済成長と少子化とあいまって、高学歴化する社会にあっては、「学業成就」祈願などもまた、神社にとっては予期せぬ収入源であった。年初めの初詣の参拝客も、微増することはあっても減少することはない。してみれば、この期の神社は、祭礼の簡素化にみられるように、その娯楽の場としての質と量の変化がある反面、祈願としての機能は、量的に増加していったとみていいだろう。
 一方、寺院の世界はどうであろうか。この期もまた、檀家の先祖供養の法施をおこないながら、葬式仏教の執行者であるという基本構図は変わらない。が、少子化現象や第1次産業の地盤低下により、「家」意識も微妙に変化している。このことが旧来の「家」を基盤とする檀家と菩提寺との結びつきである檀家制度に何がしかの影響を与えることは推測に難くない。
 近年、少しずつ増え始めている葬式抜きの「散骨」や「お別れ会」という寺院の主要な宗教機能を奪いかねない新式の葬祭の出現は、そのひとつであろう。何よりも、本来、葬祭などのすべての供養一般は、菩提寺もしくはその自宅で執行するのが常であったが、それが昭和40年頃からかなり多面化している事実は看過できない。
 その一端を知るうえで参考になるのが、表2−40に掲げた葬祭場についての資料である。分析対象は平成8(1996)年から9年のものであるが、葬祭の場として全体的にみた場合、圧倒的に多いのが民間経営の葬祭場で、町会館、寺院関係が続いていることが判明する。すでに葬儀を済ませたという「後広告」には少なからず「自宅」が含まれているのであるが、それにしても旧来のような、葬祭は「自宅か菩提寺」という時代はもはや遠い過去になったことを実感させられる。
 このような葬祭場の多面化や、葬式ないし先祖供養に対する意識変化は、どうしても寺院の経済基盤を直撃しかねない。市内の有力寺院の中に、たとえば表2−41にみるように高龍寺が「国華幼稚園」、東本願寺が「大谷幼稚園」という具合に、附属の幼稚園を開設しているのも、寺院側の苦境の一策であろう。現代の仏教寺院はそうした苦境のなか、懸命に各檀家の「年忌」や「月忌」などの日常的な法施をとおして、檀家制度の空洞化を食い止めているのである。
表2−40
新聞広告にみる函館の葬祭会場
                   単位
区分
平成8年
9年
民間経営葬祭場*
仏教関係施設
仏教以外の宗教施設
町会館
「後広告」**
818
406
40
785
152
877
387
40
635
184
合計
2201
2123
各年「北海道新聞」より作成
*ホテル等も含む
**葬儀を済ませたという広告で会場が不明のもの
表2−41 函館の私立幼稚園
開園年
園名
大正2年 遺愛幼稚園
大正14年 第二遺愛幼稚園
昭和5年 函館大谷幼稚園
昭和9年 函館藤幼稚園
昭和10年 龍谷幼稚園
昭和11年 第二大谷幼稚園
昭和25年 白百合幼稚園
昭和26年 函館ちとせ幼稚園
昭和27年 めぐみ幼稚園
昭和31年 国華幼稚園
 〃 ひまわり幼稚園
昭和32年 カトリック湯川幼稚園
 〃 第二龍谷幼稚園
昭和33年 函館若葉幼稚園
昭和35年 第三大谷幼稚園
昭和36年 湯川明照幼稚園
 〃 元町白百合幼稚園
昭和40年 函館大谷女子短期大学附属幼稚園
 〃 函館短期大学附属幼稚園
昭和41年 太陽の子幼稚園
昭和47年 亀田ゆたか幼稚園
昭和49年 函館第三大谷幼稚園
函館市教育委員会『戦後学校教育の五十年』より作成
園名は開設当時のものである
は寺院経営
 以上、高度経済成長期以後の神社と寺院をみてきた。神社に対するイメージも、敗戦直後のように天皇制の推進者としての戦争責任を問うような雰囲気はすっかり風化し、本来的な神社の姿(地内の安全と生業隆盛の祈願および祭礼による娯楽の共有)に立ち返った感がする。これは国民全体の天皇に対する感情と表裏することであろう。その辺の事情をNHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造』を引用しながら探ってみよう。ここには同研究所がおこなった昭和48(1973)年から平成10(1998)年までのアンケート調査の結果が載っている。回答者は全国450地点(48年は302地点)から16歳以上の男女5400人(48年は5436人)を抽出したものである。
 設問のひとつである「天皇に対する感情」(あなたは天皇に対して、現在、どのような感じをもっていますか)についての回答を紹介しよう(図2−39)。

図2−39 天皇に対する感情
『現代日本人の意識構造』より
 この数値について、同書では全体として「尊敬」から「好感」へという分析をしており、1993年の好感度の上昇は、皇太子の結婚がマスコミで大きく報道された影響であろうとしている。翌年には数値を下げているが、大きなイベントによって天皇への感情は激しく動くものとみられている。 
 なお、天皇に反感を持っているのはわずか2パーセントにしかすぎない。好感と尊敬を合わせた数がつねに過半をこえていることは、戦前期に日本人のナショナリズムの中心に位置していた天皇に対する「現人神(あらひちがみ)」「崇拝心」のイメージが一変し、「崇拝」から「好感」へと変容したことを如実に示している。なお、どの時代でも無感情がもっとも多いが、年齢層別にみると、16歳から29歳までには圧倒的に多く、平成10年の調査では78パーセントに達している。一方、50歳以上では他の年齢層と異なり、無感情の値が低く、尊敬が多かったのだが、それでも平成に入ると、好感が上回った。
 この年齢の高い層の意識の変化が、神社に対する戦争責任の風化にも表れていることは推測できよう。また同時に、護国神社の名称が敗戦直後に潮見丘神社に変わり、再び護国神社に復するという昭和30年代を機にした世相の復古調にも表れていることも推測に難くない。
 一方、この時期の国民全体の「信仰・信心」の内容は、アンケート上、図2−40(回答は複数)のようになっている。これによれば、どの年でも「神か仏を信じている人の率」は他の項目と比べてほぼ上位にある。神や仏を信ずる心は漠然としたものも含めて、日本人の信仰心の根底にあるといえよう。
 その一方で、宗教とか信仰に関して何も信じていないと「無宗教」を表明している人たちも少なくはない。とくに昭和53(1978)年以降減少傾向にあったものが平成10(1998)年の調査で大きく増えたのが注目される。
 この「無宗教」も含めた「信仰・信心」の内容をさらに具体的に掘り下げた「宗教的行動」のアンケートを最後に紹介しておこう(図2−41、回答は複数)。
 「墓参り」の多くは仏教信者の宗教的行動であろうが、図2−40で「信じていない」、すなわち「無宗教」を表明している人たちすべてが何もしていない訳でもないことがこの「何もしていない」の約1割の数字に表れている。お守りやおみくじ祈願などの宗教的活動は、主として神社を中心におこなわれている祈祷行事とすれば、日本人の神仏習合的な価値観は、この宗教的活動のなかにも鮮明に表現されているといえよう。
図2−40 信仰・信心(国民全体)
『現代日本人の意識構造』より
図2−41 おこなっている宗教行動(国民全体)

『現代日本人の意識構造』より
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