通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


「函館市史」トップ(総目次)

第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第3節 敗戦後の函館の産業経済
4 農地改革の実情

農地改革への動き

函館の農地改革

聞き書き″農地改革″

函館の農地改革   P202−P207

 北海道における農地委員会委員選挙は、21年12月22日におこなわれることとなり、函館市でも、この日に選挙が実施された。この頃函館市は、隣接の湯川町を合併(昭和14年3月)して数年間しか経過しておらず旧市域と旧湯川町域とでは都市的地域、農村的地域として性格が大きく異なっていたので、農地委員会も同一市内ではあるが函館地区農地委員会と湯川地区農地委員会が、それぞれ組織されることになり、選出もそれぞれにおこなわれた。
 函館地区は各階層とも無投票で当選者が決まり、湯川地区は、地主・自作層委員は無投票だったが小作層だけは投票となり、5名の委員を選出している(昭和21年『函館市事務報告書』)。この委員選挙への関心は、どの市町村でも低調といわれ、無投票で決まるところも多かったが、小作層については、比較的関心が高く立候補者もやや多かった。
 湯川地区での小作層委員についてのリコール問題も関心の高さを表わしているものといえよう。湯川地区農地委員会では、この頃地主・小作人間に生じた小作地返還問題2件が扱われた。いずれも地主層委員の主導で審議され、小作層委員はただ「盲従」するのみであったという見方が出てきて、農地改革を推進するのに不適当であるとされ、リコール運動が起された。23年7月20日には、小作層有権者の半数以上(954名のうち498名)の署名捺印による不信任書が選挙管理委員会に提出され、8月3日にはこの不信任要求は有効と認められたので、小作層委員5名は「失職」とされてしまった。このため8月17日に再選挙が実施された。8名の立候補者があったが、そのうち5名は前任の委員だった。そして選挙の結果は前委員4名、新委員1名の選出ということになった。この結果は「事実上リコールは逆にくつがえされた」(昭和23年8月20日付け「函新」)、「各方面から批判が集っている」(昭和23年9月9日付け「函新」)と報道され、不信任とされながら再選された3名の委員が選挙管理委員会を被告として、リコール無効の告訴を起すということになった。リコール請求署名で有効と認められたもののなかには、無資格者など無効のものが30名分もあり、有効署名は有権者の過半数には達しておらず、リコールは無効だったのだ、と告訴したのだった(「前掲紙」、なお告訴のその後の経過は知られていない)。
 農地委員の選挙とあわせて問題となるのが買収地の決定であった。北海道では、前述のように在村地主(所有地と同一の市町村内在住者)の小作地保有限度3町歩平均、自作地がある場合は自作地、小作地あわせての保有限度を12町歩平均として、これをこえる小作地は買収されると定められていた。この平均値をもとに各地域の保有限度が定められたが函館市周辺の保有限度面積は、表1−38のとおりであった。
表1−38 自創法第3条第1項第2号および第3号の面積に代わるべき面積(1947年6月26日北海道庁440号告示)
                            単位:町歩
 
函館市
亀田村
銭亀沢村
第2号の面積に代わるべき面積
0.8
1.5
0.5
第3号の面積に代わるべき面積
2.5
4.7
1.4
注)2号面積=在村地主の小作地保有限度面積、3号面積=自作地・小作地合わせての保有限度面積
 この資料では、函館・湯川地区の区別がない。両地区とも函館市のうちにふくまれることになるが、やや疑問の残るところである。
 この保有限度面積は北海道農地委員会が決定し、中央農地委員会の承認を得て、北海道知事が告示するものであった。
 昭和21年度末から22年度の改革最初期にあっては、どの市町村でも買収地を決定しやすい不在地主の小作地(不在地主の小作地は、すべて買収と定められていた)を扱っていたので問題、紛議はすくなかった。道庁告示で、在村地主の保有限度が明示されたのであったが、この基準で、問題なく買収地が決定されるとは限らなかった。
 函館地区(旧函館市内)では、農地の多くが都市計画の予定地と考えられていて、買収予定地と都市計画予定地が重複して紛議となるのであった。函館市当局は、「旧市内の農地はすべて都市計画予定地としてほしい」との請願を道庁にあて提出していたが、基本的に請願は認められて田家町の一部の水田を除いて、すべて都市計画予定地としての許可をうけた、としていた。しかし、旧市内農地のうちにも小作地として耕作されているものもあった。小作人側から払下げ要求が出された時、都市計画予定地なので、市が後日購入するからと地主からの買収はしないでよいのか、という紛議が生じたのであった。
 人見町の2万数千坪の土地が引揚者住宅500戸の建設予定地で、市と地主との交渉がおこなわれたが、同地での小作営農の農家5戸からは払下げ要求が出され、函館地区農地委員会は買収の対象とすることを決めた。地主は、近く公共的な利用に供することが決っているので宅地などに分譲せずに保有していたものであり、一般の農耕地と同一に扱われるのは納得できない、としており、市も引揚者住宅の用地としての取得を地主と交渉中なのだというのであった(昭和23年6月27日付け「函新」)。
 このような形の紛議は、多く小作人側の利益を考慮して処理されることになるようであったから、この場合も小作人の要求を主としての解決がはかられたものと思われる。旧市内の農地30町歩ほどの買収予定地が、ほとんどすべて都市計画用地として許可されているという函館市の説明が報道されていたが(「同前」)、そのとおりに都市計画予定地として保留されたとは思われない。昭和30年代前半頃の『農地等の買収売渡実績確定調査』(北海道立文書館蔵)によると、函館地区(旧函館市内)で買収された農地は25町6反歩余りだった(表1−38、1−39参照)。30町歩の予定といわれていた買収予定の農地は、ほとんど買収され、小作人に売渡されたものと思われる数値である。
表1−39 自作農創設特別措置法などによる農地買収・売渡状況
                                                                    単位:反
 
昭和21年度
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
合計
函館市 買収
151.701
55.714
16.917
12.309
14.651
5.021
256.313
函館地区 売渡
102.509
43.626
24.728
30.604
8.106
12.815
-
0.624
223.012
湯川地区   資料なし
銭亀沢村 買収
-
8,063.725
549.815
109.228
93.717
82.215
3.230
505.019
708.208
10,115.157
売渡
-
8,032.428
535.503
109.228
81.027
59.821
507.316
708.208
10,033.531
亀田村 買収
584.911
6,505.812
5,966.207
358.113
115.404
149.706
90.117
140.825
13,911.095
売渡
445.913
5,756.405
1,839.506
799.711
400.714
131.921
552.314
122.609
38.005
2,932.329
13,019.427
※『農地等の買収売渡実績確定調査』(北海道立文書館所蔵)のうちの「買収売渡面積条項別集計表」による。
注)同集計表は農地、牧野、宅地、建物の買収、売渡について根拠法令別に年次順に買収、売渡の面積をあげている。
 根拠法令は(1)自作農創設特別措置法、(2)自作農創設特別措置法及び農地調整法の適用を受けるべき土地の譲渡に関する政令、(3)農地法であるが、この集計表では(1)による買収売渡は昭和27年度まで、(2)によるもの昭和26〜27年度、(3)によるもの昭和28〜31年度が集計されている。
 なお根拠法令ごとの累計が1市2ヵ村いずれも計算があわない(何か理由があるのか、単なる計算の誤りかは不明)。ここでは年次ごとにあげられている数値を合計して合計の欄にあげている。
 この表では牧野、宅地、建物については省略して農地(表示の1市2ヵ村の平均で買収対価総額の90%以上、買収面積全体の85%以上を占めている)についての集計のみあげた。
 買収、売渡の進捗状況をみると表1−39のとおりであった。この表の内容と『北海道農地改革史』下巻に示されている全道的な進捗状況とを比較するために昭和27年度までの買収面積合計を計算すると、函館地区で251.292反、銭亀沢村で8901.930反、亀田村1万3770.27反となる。この数値に対して昭和23年度までの買収面積は、函館地区で82.5パーセント、銭亀沢村96.8パーセント、亀田村94.8パーセントであった。同様の計算により全道平均の進捗度は、87.7パーセント、全道の市部の平均では85.0パーセントである。湯川地区については資料がなく比較できないが、函館市内の地域では全道の動きに比べて少し遅れ気味で銭亀沢村、亀田村では、むしろ進んでいる様子だったことがわかる。旧函館市内では、農地面積は小規模であったのに、やや買収に手間取っていたのだろうと思われる。前述の都市計画予定地との重複による買収地決定の困難な場合があったことなどと関係するのであろうか。
 買収対価の点でも函館地区に際立った特徴があった。反当りの対価が目立って高額なのである。表1−40によると函館地区の対価は、湯川地区、銭亀沢村の3倍から4倍にあたっている。都市計画による買上げの価格との関係が意識されていたのかとも思われる。
 亀田村については『実績確定調査』の「確認表」では買収対価改訂が記され表1−40に示した額になっていて、このまま反当り対価を計算すると375円余となって、湯川、銭亀沢と大きくちがうこととなる。( )で表示した改訂前の額で計算すれば170円であまり差違のない数値になる。改訂対価についての詳細については不明である。細部にわたっての資料は十分ではないので不明な部分がかなりあるが、地主・小作人の関係を根本的に改革する目標は達せられたようであった。表1−41は、自作・小作別の農家戸数、耕地面積について、戦前の様子(『北海道庁統計書』は、太平洋戦争戦時下の時期に編集されなかったので、昭和15年の数値をあげてある。なお、この年ではすでに湯川町との合併がおこなわれたあとの数値となるので、農地改革期の市域と同一の範囲で比較できることになる)と農地改革を経過した後の様子を比較できるように作成したものである。
 自作兼小作をふくめると80パーセント近くの農家が地主・小作関係のもとにあったのが、逆に80パーセント以上の農家が自作農となっている。耕地面積の95パーセントほどが、自作地となったことも知られる。「寄生地主制」と呼ばれ、問題の多かった地主・小作関係は、大きく変貌したのであった。
表1−40 農地買収売渡面積及び対価の確認表
                           単位:円
 
面積(反)
対価
反当り対価

函館市
 函館地区

 湯川地区

買収
256.523
139,919.38
545.5
売渡
223.222
114,940.26
514.9
買収
9,826.818
1,227,451.03
124.9
売渡
9,624.500
1,187,747.21
123.4
銭亀沢村
買収
10,115.612
1,808,122.76
178.8
売渡
10,033.811
1,799,865.22
179.4
亀田村
買収
13,904.206
5,219,862.45
375.4
 
(2,363,108.68)
(170.0)
売渡
13,019.707
5,064,167.43
389.0
『農地等の実績確定調査』(北海道立文書館蔵)のうちの「買収売渡面積確認表」、「買収売渡対価確認表」による。
注)各市町村の買収売渡面積はこの『実績確定調査』のうちの「買収売渡面積条項別集計表」の数値とも、表1−39で計算、提示した合計の数値とも一致しない。理由は不明である。
 亀田村の買収対価は大きな価格改訂があったように記され、表示の額となっている。改訂前では2,363,108円68銭であり、この方が『函館市史』亀田市編のあげる数値(昭和31年9月現在 田畑あわせて2,213,473円20銭とある)に近い。
 売渡対価については改訂後の対価と思われる額があげられているだけで改訂前の対価を示す数値は示されていない。
表1−41 函館市自作小作別農家戸数・耕地面積の動き
a 自作、小作別農家戸数
                          単位:戸数(%)
年次
総数
自作
自作兼小作
小作
備考
昭和15
570
(100)
127
(22.3)
155
(27.2)
288
(50.5)
 
25
794
(100.0)
511
(64.4)
143
18.0
140
17.6
 
28
748
(100.0)
569
(76.1)
71
(9.5)
49
(6.6)
養蓄など
59
30
739
(100.0)
570
(77.1)
67
(9.1)
42
(13.8)
 
35
703
(100.0)
581
(82.6)
26
(3.7)
24
(3.4)
例外規定農家
72

b 自作、小作別耕地面積
            単位:町(%)
年次
総計
自作地
小作地
昭和15
1531.4
(100.0)
406.6
(26.6)
1125.1
(73.4)
28
1333.6
(100.0)
1265.4
(94.9)
68.1
(5.1)
第52回『北海道庁統計書』、第2巻『世界農林業センサス 市町村別統計書』bP北海道、『函館市統計』2、昭和30年『函館市勢要覧』より作成
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第4巻第6編目次 | 前へ | 次へ