通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


「函館市史」トップ(総目次)

第2章 20万都市への飛躍とその現実

第7節 都市の生活と新しい文化

6 写真の流行とその規制
1 函館のアマチュア写真家

素人写真講習会

函館カメラ倶楽部と素人写真会

写真倶楽部の誕生と写真展覧会

写真コンテスト

写真ブーム

活躍したアマチュア写真家

昭和初期のアマチュア写真クラブ

写真倶楽部の誕生と写真展覧会   P921−P924

 大正10年に入ると、区内の写真クラブ合同による写真展覧会開催の話が持ち上がり、これを機会に「函館カメラ倶楽部」と「素人写真会」は合併し、3月2日午後6時より末広町海交倶楽部で「函館写真倶楽部」の発会式を挙げた。当日20数名の会員が集まり、会長1名、幹事5名を選出した。会長は高辻栄太郎(海運業)、事務局は相生町69の村上薬店(村上回春堂)に置かれた。例会出品印画については、次のように定められた(大正10年3月2日付「函毎」、同年3月3日付「函新」)。

一、引伸し台画には原印画を添付すること。
一、印画は台紙に添付し、台紙裏面に氏名を明記すること。
  但し台紙は本会に於いて実費販付するものをもちふること。
一、印画は自作品なること。
一、出品は例会の一日前迄に事務所に差出すこと。
一、参考品として出陳するものは此細則に依らさぬことを得。
附 記 審査員として適任者を得るまで専ら会員の互選に依り等級を決定す。
     互選は出席会員が一等より十等に推薦すべきものに付き各一点の投票を為し其の得点に対し一定の加減点を加へて得点を定む。加減点の率は第一回例会に於いて決議する。

 第1回例会は、3月13日午後5時より海交倶楽部で行われた。出席会員30数名、出品印画約60点。互選の結果1等村山(85点)、2等村山(77点)、3等新(70点)、4等村山(53点)、5等菊岡(49点)、6等村山(46点)、7等菊岡(42点)、8等千葉、新(40点)の各氏が入賞した。
 5月20日に行われた同倶楽部の臨時会の模様が全国誌『写真新報』(東京・浅沼商会刊)に掲載されている。これによると出品印画はサイズにより第1部はキャビネ判、第2部は手札判、第3部は名刺判に分けられて、各部門毎に1等から10等まで会員の互選投票で決められている。当日の出席者は村山禎一、村山喬、梅川吉五郎、金沢平吉、菊岡貞吉、浅野亀治郎、赤川宗一、吉住昌、鈴木平太郎、野村喜代治、林豊三郎、国領栄一、田中貞一郎、新明治郎、新弥七郎、新伴雄の16名、出品印画は約50点であった。
 8月20日から22日までの3日間、私立函館図書館(昭和3年より市立)で函館写真倶楽部主催「第一回写真展」が開催された。1000人の入場者があり、「函館写真倶楽部を世に紹介し、アマチュア写真に就て世の人々の注意を呼び起こし、また一般素人写真趣味の普及に功果あった事は、我れ人共に相ゆるす一大成功として御同様誠に満足に絶えぬ次第」と写真の普及と紹介に成功であったことが、同倶楽部の報告書「第一回印画展覧会の報告と所感 編輯担任」に記されている。第2回写真展は、翌11年5月13日から15日の3日間、前年同様図書館で開催されたが、この第2回写真展に際し、同倶楽部は、4月初旬に「素人写真」募集を行うとともに次のような展覧会規則を発表した。これを見ると入場料を徴収しているなど当時の展覧会の内容が詳細に判る。

       函館写真倶楽部第二回印画展覧会規約
一、開会日時    大正十一年五月十三、十四、十五、三日間公開
二、会   場    公園内函館図書館
三、印画〆切期日 五月五日迄に三津屋材料店又は最寄幹事宅へ届くる事
四、委   員    展覧会事務は役員全員が当たる
五、出品印画制限  (イ)会員の印画出品数は約五枚とす (ロ)サイズ、画題は随意なれ共一度他に出品したるものは採らず、但し本会例会出品印画は此の限りに非ず (ハ)カビネ判以上のものは任意の額に入るゝこと、(ニ)印画の裏面には必ず画題及姓名記入の事
六、公募印画    本会会員以外の函館在住一般同好者より印画を募集す
             但し一人につき約二枚以内 委員これを選択取捨す
七、審   査    展覧会閉会後印画全部を東京に於て適当の方法により審査採点の上等級を定め賞品を贈る
八、附   則    出品印画に対し出品目録を調□する事、出品印画は審査終了の上返戻する事、展覧会入場料一人金一〇銭を徴収する□(以上)

「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ