通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業

7 大正・昭和前期函館陸上交通

4 市内交通網

市街電車

市内バス

タクシー

タクシー   P568−P569

 大正3年、乗用車が函館に輸入される間もなく、岩見(錦輝館主)、ビリケン自動車、駅前の勝田など忽ち5、6台の「自動車屋」が生まれた(大正6年8月30日「函新」)。以来、全道的に、乗用車、貨物トラック共に増大する。
 大正2年、北海道庁は庁令自動車取締規則を令し、大正8年、内務省は自動車取締令を発した。
 函館のタクシー会社は、大正15年「函館タクシー」がフォードとハドソン型の4台の自動車にメーターをつけて、「五割方安い料金」で開業したのが、始まりのようである(大正15年5月29日「函毎」)。湯川行きの料金が公表されているが、末広町車庫を基点(これは末広町の株屋の岩井商店の経営)に、次のようになっている。市役所70銭、停車場1円、海岸町1円30銭、万年橋1円40銭、五稜郭1円70銭、湯川3円。「自動車は便利だが高値」という従来の常識を破り、従来の5割安、湯川3割安、夜中も暴風雨でも一切割増なしということだった。

1円タクシー
 函館駅の構内では、それまで、駅開設当時から人力車(蔦勘十郎)が営業を許可されていたが、大正15年4月、浅田自動車合資会社(代表坂口清)に営業許可され、営業して来た。タクシーが真に大衆化したのは、昭和3年1円タクシー、5年「半円タクシー」といわれた格安の車が出て来てからで、この不況期、タクシー会社は、値下げ競争をしたのである。昭和6年3月3日の「函館新聞」には、中央タクシーとハツネ自動車の広告が載っているが、それによると、中央タクシーは市内50銭均一、湯川2円、ハツネ自動車も同じとなっている。これすら高い方で、湯川のニシタ自動車は、市内流しで市内20銭、10銭でも客を乗せている。この頃の市内タクシーは、業者90余軒、車が130余台であった(昭和6年3月11日「函新」)。
 以上の値下げは競争激化によるものだが、この大衆化は、昭和9年純国産ダットサン小型自動車が流行してから、本格化した。この出現により、人力車が消滅する。昭和7年、函館では、人力車が35台に減少している。翌昭和8年の自動車車体検査では、函館市内のタクシーは、140台、トラック120台、バス40台となっている。昭和11年12月の自動車検査では、普通車414台、特殊車13台、小型車194台とある。同じ日付の紙面に恵比須町函館タクシーの広告がのっているが、これによると、「開業以来八ヶ年、小型自動車の許可を受け、7月25日より小型タクシー部を設けて営業」するとある。純国産車で、料金は普通自動車の半額とある。
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